【20ページ】 ##3 難病とは 「難病」という言葉は、一般的には「治りにくい病気」「治療法が確立していない病気」といったイメージで用いられることが多いものの、医学的に明確な線引きがある用語ではありません。難病かどうかは、その時代の医療水準や社会的背景によって変化し、また国によっても定義や対応は異なります。 たとえば、日本においてまだ衛生環境が十分に整っていなかった時代には、結核、コレラ、天然痘といった感染症も「不治の病」として恐れられていました。しかし、公衆衛生の向上や医療技術の発達、生活環境の改善によって、これらの病気は治療可能となり、難病とはみなされなくなっています。 一方で、医学の進展に伴い、これまで十分に認識されていなかった疾患が新たに社会的にも注目されるようになりました。その中には、依然として治療が難しく、慢性的な経過をたどる病気も存在しています。こうした病気の一部が、一般的なイメージでは「難病」として捉えられているのではないでしょうか。 ###難病という言葉の由来と国の定義 日本で「難病」という言葉が使われるようになったきっかけは、昭和40年代に発生したスモンという病気が契機とされています。 その後、昭和47年(1972年)に厚生省(当時)が「難病対策要綱」を策定したことにより、「難病」という言葉は広く社会に知られるようになりました。 この「難病対策要綱」では、難病対策として取り上げるべき疾病の範囲について、以下のように整理されています。 ① 原因が不明であり、治療方法が未確立で、後遺症を残す恐れが少なくない疾病 ② 経過が慢性にわたり、経済的な問題だけでなく、介護等に多くの人手を要し、家族への身体的・精神的負担が大きい疾病 (※ただし、すでに別個の対策体系が存在する「ねたきり老人」や「がん」等は除外する旨も明記されています。)[編集部注:難病対策要綱①-1 1 https://www.nanbyou.or.jp/wp-content/uploads/pdf/nan_youkou.pdf ] その後、難病対策要綱による対応には限界があることから、持続可能な医療・福祉制度を整備するため、難病対策を法律として体系化し、医療費助成、研究推進、生活支援を一体的に進めることを目的に、平成26年(2014年)に「難病の患者に対する医療等に関する法律(難病法)」が成立し、平成27年(2015年)1月1日に施行されました。 この法律では、難病を「次の4つの条件を満たす疾病」と定義しています。 ① 発病の機構が明らかでないこと ② 治療方法が確立していないこと ③ 希少な疾病であること ④ 長期にわたる療養を必要とすること さらに、医療費助成の対象となる「指定難病」には以下の要件も追加されます。 ⑤ 患者数が一定数(人口の約0.1%程度)以下であること ⑥ 客観的な診断基準(またはそれに準ずるもの)が確立していること 現在(令和7年4月1日)、指定難病は348疾病、対象者は約108万人となっています。[編集部注:令和7年4月1日施行の指定難病(告示番号1〜348)厚生労働省https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_53881.html ] ###各国で異なる「希少疾患」の定義 ここで、希少疾患(希少難病)について触れておきたいと思います。 難病の多くは「希少疾患(Rare Disease:RD)」に分類されますが、希少疾患とは、患者数が非常に少ない疾患の総称で、日本では「患者数が5万人未満の疾患」と定義されています。欧州連合(EU)では「人口1万人あたり5人未満」、米国では「患者数が20万人未満」とされるなど、各国の人口規模に応じた基準が採用されており、国によって定義は異なります。 これらの疾患は個別にはきわめて稀ですが、世界全体では約7,000種類が存在するとされており、総患者数は無視できない規模に上ります。 希少疾患の多くは、病態が明らかでなく診断が難しいうえに、根本的な治療法も限られています。そのため、命に関わる重篤な症状を引き起こすこともあります。また、命に直接関わらなくても、永続的な障害や深刻な生活上の困難をもたらすことも少なくありません。 日本の「指定難病」は、このような希少疾患のなかでも、公費による医療費助成の対象とするうえで、特に医学的・社会的に支援の必要性が高いものに絞られており、単に希少であるというだけでなく、先に示した複数の要件を満たす必要があります。そのため、国際的な希少疾患と日本の難病制度は必ずしも一致するわけではなく、比較の際には注意が必要です。 また、類似概念として「希少疾病(Orphan Disease)」という用語も存在しますが、これは主に医薬品開発の文脈で用いられ、日本では薬機法に基づき「患者数が5万人未満」で、かつ医療上の必要性が高いと判断された疾患が「希少疾病用医薬品(オーファンドラッグ)」の対象となっています。欧米においても同様の制度があり、こうした用語には、研究や開発の手が届きにくく「見捨てられがち」という社会的意味合いも含まれています。欧米では「希少疾患」と「オーファンディジーズ(Orphan Diseases)」はほぼ同義として使われることが多いですが、日本では「希少疾病」の定義がやや狭く、制度上も区別されています。 ###公的支援制度を受ける要件としての「難病」 さて、難病者に対する公的支援制度は、難病法の施行とは別の法的枠組みでも強化されました。障害者自立支援法(平成18年施行)では、サービス利用者(障害者)への負担増や、実態と乖離した支援内容が社会的に問題視され、難病者や一部の見えにくい障害を持つ人たちが支援の対象から漏れていることも課題とされていました。 これらの課題を受け、より柔軟で包括的な支援制度を目指して制度改革が進められ、平成24年(2012年)には障害者総合支援法が成立し、翌平成25年(2013年)4月1日から施行されました。この法律により、従来の障害者(身体障害者・知的障害者・精神障害者)に加え、一部の難病者も障害福祉サービスの対象とされることとなりました。 障害者総合支援法に基づく、障害福祉サービスの対象となる難病の要件は次の通りです。[編集部注:障害者総合支援法の対象疾病(難病等)の見直しについてhttps://www.mhlw.go.jp/content/001513536.pdf ] ① 治療法が確立していないこと ② 長期の療養を必要とすること ③ 診断に関して客観的な指標による一定の基準が定まっていること 令和7年(2025年)4月1日からは、対象疾患が376疾病に拡大されています。[編集部注:障害者総合支援法の対象疾病(難病等)周知用リーフレットhttps://www.mhlw.go.jp/content/001398603.pdf] ここまでの経緯を踏まえると、日本における「難病」とは、一般的に「治りにくい病気」として捉えられるイメージとは異なり、医療的・社会的課題と して行政的に明確に定義され、複数の法制度のもとで支援対象として整理された、より限定的な疾病群であることが分かります。 「難病対策要綱」や「難病法」、「障害者総合支援法」の成立は、医療費助成や研究支援にとどまらず、生活支援や就労支援を通じて、難病者が生活の安定を図り、働きながら自立を目指すための枠組みを整備する重要な転換点となりました。 ###公的支援制度の枠組みから漏れる難病がある しかし、依然として診断や治療が難しく、慢性的な症状を抱えたまま支援の枠組みから漏れてしまう疾患も少なくありません。たとえば、線維筋痛症(約200万人)、化学物質過敏症(約70万人)、筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(約24万人)、脳脊髄液減少症(約50万人) などがその例です。これらの疾患は、いずれも治療法が確立されておらず、患者本人とその家族にとって経済的・身体的・精神的に大きな負担となっていますが、公的制度の対象として明確に位置づけられていないのが現状です。 こうした疾患が支援の対象とならない背景には、制度上のいくつかの要因があります。たとえば、線維筋痛症のように患者数が多い疾患は、「希少性」の基準に合致しないと判断され、そもそも選定の対象とされにくい傾向があります。また、発病のメカニズムが不明で診断基準が定まらない疾患については、実際には支援が必要であっても、「明確な診断基準があること」を前提とした制度設計ゆえに、対象化が難しくなるといった課題もあります。さらに、化学物質過敏症のように疾患概念や病因に関する医学的な合意が十分でないとされるものでは、病気としての公的認知そのものが進みにくいという現実があります。 このように、日本の支援制度は「希少性」や「診断の明確さ」といった一定の客観的基準に基づいて構築されていますが、その結果として、症状の重さや日常生活における困難さが十分に反映されにくいというジレンマが存在します。 一方、アメリカやEUの一部では、支援対象を判断する際に、患者数の多少だけでなく、社会的機能への制限や生活上の困難さといった観点を加味し、柔軟な制度運用がなされている例もあります。このような支援のあり方は、たとえ症状があっても、適切な環境が整えば働き暮らしていけるという当事者の可能性を広げるものであり、今後の日本の制度設計を考える上でも参考になるのではないでしょうか。 ###新たな難病の定義として「難治性慢性疾患」を提唱 以上を踏まえ、私たちは、既存の制度の枠にとらわれず、「希少性」や「診断の明確さ」は無くとも、難治性の痛みや強い疲労感などの慢性症状が伴い、治療の長期化や就労・生活上の著しい制約、社会的孤立などを余儀なくされる疾患について、独自に「難治性慢性疾患」と定義しています。 これらの疾患は比較的新しいもので、対応できる医療機関が限られているため、診断までに時間を要したり、診断そのものが困難であったりすることが少なくありません。仮に治療法が存在しても、診療ガイドラインの未整備や国際基準との不整合などにより、健康保険の適用外とされ、全額自己負担を余儀なくされるケースもあります。更に、生活・就労といった面で既存の支援制度に該当しにくいという特徴があります。 こうした背景をふまえ、私たちは、国の制度上定義された「難病」「指定難病」「障害者総合支援法上の難病」「希少疾患」に加え、独自に定義する「難治性慢性疾患」も含めて、総合的に「難病」ととらえています。 このような疾患と共に生きる人々の中にも、働く意欲や能力を持つ人たちが多く存在しています。その社会参加を後押しすることは、個人の尊厳の実現にとどまらず、社会全体の活力にもつながると考えています。 〔わたしたちが定義する「難病者」の図。国が定める難病(指定難病)、希少疾患、障害者総合支援法上の難病に、難治性慢性疾患(独自の定義)を加え、わたしたちは“難病者”と呼称しています。この図は、「難病」という言葉が指す範囲を、氷山にたとえて説明しています。海面上に出ている部分の氷山は、指定難病、障害者総合支援法独自の対象疾病で、公的制度で対象とされています。希少疾患と難治性慢性疾患は、大部分が海面下にあり、制度の対象外であることを表しています。 図の左側には「制度の空白」「自治体等の限定的支援」との表記があり、氷山の下に位置する疾患群が制度から漏れている現状を指摘しています。 上にいくほど各種支援制度の対象になりやすく、認知がある。下にいくほど支援が乏しく、認知がないという構造を表しています。〕 参照 1.厚生労働省公式ウェブサイト「難病とは」PDF資料 https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/shougaisha/pdf/06e_3_2.pdf 2.難病情報センター公式ウェブサイト「2015年から始まった新たな難病対策」https://www.nanbyou.or.jp/entry/4141 3.難病情報センター公式サウェブイト 特定医療費(指定難病)受給者証所持者数 https://www.nanbyou.or.jp/wp-content/uploads/2025/02/koufu20241.pdf 4.希少疾病用医薬品・希少疾病用医療機器・希少疾病用再生医療等製品の指定制度の概要|厚生労働https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000068484.html 5.CMICオーファンパシフィック オーファンドラッグとはhttps://www.orphanpacific.com/patient/contents/column_orphandrug/ 6.CDC公式ウェブサイト https://www.cdc.gov/me-cfs/disability/index.html?utm_source=chatgpt.com 7.Arbetsförmedlingen公式ウェブサイト https://arbetsformedlingen.se/other-languages/english-engelska/additional-support/disability#Vemkanfastod