【176ページ】 ##議会質問の試行錯誤から多様な働き方へ 袖ケ浦市議会議員 伊東 あきら 私が初めて難病と向き合ったのは、以前通信会社に勤めていた時でした。社会人ラグビーで後輩が急に寝たきりになってしまったと連絡が入り、いつも元気にラグビーをしていた後輩だったので「すぐに治るだろう」と気楽に見舞いに行ったところ、「頭が痛い」とベッドの上でもがいている姿を見て何か自分でできる訳でもないのに無性に焦った記憶があります。病名は“脳脊髄液減少症“という病気でした。原因はいまだに不明です。たまたま当時、知り合ったばかりの医者に相談し、最終的に熱海の病院を紹介いただき、まだ病気を患って初期の段階だった為か、奇跡的に回復しました。今では当時が嘘だったかの様に元気に毎週ラグビーを続けています。   その後、私は袖ケ浦市議会議員となり、一新塾と言うビジネススクールで重光さん(現NPO法人両育わーるど理事長)に出会いました。熱心に難病問題に取り組まれていて、プレゼンテーションの中で「4人に1人は難病、精神疾患を患っている」と聞き、数多くの方が“法の狭間”で生活の糧に苦しみ、社会的尊厳でもある就労の機会を逃し、若しくは騙し騙し勤めている方も多いという現実を知らされました。また、重光さんと同じ病気にかかった後輩の事を思い出し「あの状態が続いていたら働く事も出来ず家族も大変だったろう」と思うにつけ、難病について知識を深めたいと思いました。難病白書を読ませて頂き、さらに本や勉強会を通じて、難病と障害者との違い、法的支援の違い、当事者の体験談等々を学ぶ事が出来ました。   そして次に思った事は議員として何か役に立てる事はないのだろうかという事です。そこで当時、私が取り組んでいた“袖ケ浦市の雇用創出”の枠組みのなかで、難病者・障害者の働くきっかけづくりにならないかとの思いから以下の内容にて議会質問を行いました。 ・令和4年3月議会の一般質問『本市における雇用創出について』の中で、『障害者、難病者への就労支援対策』について問題提起を行いました。当時市役所職員の障害者の雇用は13人という回答であったため、法定雇用率2.6%である16人を雇用し、法定雇用率の早期実現を訴えたところ、こちらは3ヶ月後には解消頂けました。また法律で就労の機会を得る事が出来ない難病罹患者にも手を伸ばし、誰もが職業を通じて社会参加できる「共生社会」の実現を訴え質問を終えました。 ・令和5年3月議会の質問『袖ケ浦市における障害者や難病者の現状と今後の施策について』では、袖ケ浦市で『第7期障がい福祉計画』作成にあたり、国の指針でもある当事者達の声を市にどの様に掬い上げて行くのかを訴求し、市からの回答は『障がい福祉サービスのニーズ等の把握をするために、アンケート調査を、難病患者を含め、障がい者個人に対し実施するとともに、パブリックコメントを実施し、市民ひとりひとりの意見の把握に努めていきます。』との内容でした。同年8月には難病者143名へのアンケートを実現しています。そして同年12月に障害福祉計画『そでがうら・ふれあいプラン』策定後、広く市民に対しパブリックコメントを実施し、令和6年4月、難病者の声として143人のアンケート結果の開示と袖ケ浦市としての支援内容の掲載を含めた同プランを、広く市民に対し公開しました。 ・実現が難しかった事例としては、令和5年12月議会での質問『袖ケ浦市の今後における「障がい福祉」政策について』です。作成中であった『そでがうら・ふれあいプラン(案)』の中で、「第4期袖ケ浦市障がい者福祉基本計画(案)」には難病の文字表記があったものの、「第7期袖ケ浦市障がい福祉計画(案)」の中には“難病”の言葉がなかった為、載せる様に要望したところ、『難病患者の方への支援の多くは都道府県が進めていくとの認識であり、策定中の「袖ケ浦市障がい福祉計画」には、障がいのある人の中に難病患者も含めて策定しています』との回答でした。たかが2文字ですがとても残念な思いでした。 また、近隣の自治体でも難病について関心を持って頂き、ある議員が同じように一般質問で「難病について、その推移や自治体独自の支援策、指定難病と指定されていない難病との違いとそれぞれの支援策」について令和6年6月に質問頂きました。袖ケ浦市だけではなく近隣市同士で啓発し合い、市独自でできるところはその市にあった方法で解決して行ければと思っています。   然しながら、依然市民の難病に対する認知度は低く、地元を廻って“難病の就労問題”について話を聞いてみると「支援にはお金が必要で財政的負担が大きくかかるのではないか」「難病と障害者の違いが分からない」「バリアフリーが未だ整っていない」等、まだまだ市民の皆様への周知不足を感じる部分もあります。   統計によると2040年には約1100万人の労働供給力不足といわれており、難病者を含む就労困難者のポテンシャルは1500万人いるといわれています(※リクルートワークス研究所調べ)。難病を抱える方々は就業形態として、自宅で働くテレワークであれば就労可能である場合や、長時間連続して働くことが困難な為、超短時間勤務(ショートタイムワーク)であれば働けるという方も大勢います。   実際に多様な働き方の導入を行なっている企業も増えてきました。就労形態を工夫すれば一般の方と同じく、若しくはそれ以上に働ける方も大勢います。テレワーク、ショートタイムワークはほんの一例です。労働人口減少が続く将来、難病者もそうでない方も共に誰にとっても働きやすい多様な働く環境を、これから作っていかなければいけないと、様々な活動を通し発信して行ければと思います。 ###・PROFILE・ いとう あきら:宮城県仙台市出身、1968年2月6日生まれ、袖ケ浦市議会議員。元々生まれは仙台市だったが父親の仕事の関係で山形、福島と過ごし、大学で東京に上京。仕事は通信会社で営業職を務めていた。2016年に当時、袖ケ浦市に引っ越してきていた父親が亡くなり、母親が1人きりとなった為、2017年に袖ケ浦市へ移住。袖ケ浦市は都心からアクセスが近いにも関わらず自然が豊富で、かつ人間性も穏やかで魅力を感じ、2020年に袖ケ浦市議会議員となる。現在2024年10月の選挙を経て2期目。難病と就労についての議会質問をした先駆者の一人。趣味はラグビーだが最近は観戦メイン。