【204ページ】 ##Episode-10 筋ジストロフィーと仕事~ライスワークからライフワークへ~(とりちゃん(鳥越 勝)) 現在、筋ジス活動家としてYouTubeチャンネル「とりすま」での発信を中心に活動をしているとりちゃんと申します。「筋ジストロフィーと仕事~ライスワークからライフワークへ~」というテーマで寄稿させていただきます。 ###1.難病との出会いと告知 僕は12歳のころに現状では治療法のない難病であるベッカー型筋ジストロフィーと診断されました。筋肉が壊れやすく、次第に衰えていく難病で、足が痛くなったり、疲れやすいという症状がある病気です。診断された時すぐに告知を受けましたが、ショックというよりもむしろ安心したという気持ちが大きかったです。やはり自分だけおかしかったのかと、それまで得体の知れない違和感だったものがはっきりしたからです。また、日常生活で大きな支障もなく過ごせていたこともあったり、2000年頃の当時は今ほど気軽に検索等ができなかったこともあったりと、不安を感じるのも少なかったのかもしれません。ただ、来年から中学生でスポーツもバリバリやりたいと思っていた矢先に「運動部には入れません」と言われたのが相当ショックでかなり泣いていたのはよく覚えています。 ###2.隠し続けた病気と孤独な社会人生活 そして診断後、18年間病気を隠して過ごしてきました。新卒のときの就職活動の際も病気を隠していました。病気を隠していたため、自分の核心の部分についてオープンにできないため、就活もあまりうまくいきませんでした。結果として、1年間就職浪人をして、苦労の末、大手のハウスメーカーに入社しました。 そして、営業職での配属となり、まさかの自転車での営業を行うことになりました。ただでさえ厳しいと言われるハウスメーカーの営業職、そこにさらに自転車での営業という状況となりました。病気のこともあり、毎日体力的にも精神的にも追い詰められていきました。そして、とうとう、うつ病になってしまい会社を1週間くらい無断欠勤してしまいました。その時、総務の責任者に「生きててよかった」と言われるくらい心配をかけてしまいました。 その後は本社勤務となりどちらかというと頭を使う仕事となり、体力的にも余裕ができました。そして、病気のことを隠しやすい環境になったので、その時も病気のことは周囲に打ち明けずに働くという選択をしていました。 このように1人で抱え込んでいたため、心理的に孤独や葛藤も強く感じていましたし、隠し事をしている自分への後ろめたさか、どこか自信を持てずに過ごし続けました。今思えば、「病気だから〇〇をしなければならない」「病気だから〇〇はできない」と『病気』に決められた範囲の選択をさせられ、さまざまなことを病気のせいにして諦めたり逃げたりもしてきたなと思います。そのため、それなりに充実もしているが、どこか”幸せ”と言い切れないような日々を過ごしていました。   ###3.人生の転機:「病気だからこそできること」 そして月日は流れ、6年ほど前から自身が筋ジストロフィーであることを周囲に打ち明けることができるようになってきました。きっかけは、筋ジストロフィーを隠し肩肘を張って生きてきた自分に対し「自分の人生このままでいいんだっけ?」と疑問を持ったことでした。そこで「これからどう生きていきたいか?」を突き詰めて考えていました。そんな中、難病や障害をもちながらも人一倍“輝いてる人”たちにたくさん出会うことができ、次第に「自分にも何かできるのではないか?」「自分が筋ジストロフィーで生まれたことに何か意味があるのでは?」と考えるようになり、「病気だからこそできること」に取り組んでいきたいと思うようになりました。 その頃に初めて車椅子パラグライダーにも挑戦したりと、具体的なアクションの実感と成功体験を得たことも大きな経験になって、そのように過ごす中で少しずつ他の誰のモノでもない『自分の今を生きる!』ことがようやくできるようになっていきました。 〔写真:車椅子でパラグライダーをする寄稿者〕 ###4.勤務先への打ち明けと退職 それと同時に少しずつ、勤務先の方々にも病気のことを打ち明けられるようになってきて、いろいろな配慮をお願いできるようになってきました。社内での重い荷物等の持ち運びなどといった細かい配慮から、住む場所を会社の近くにするなどの配慮をしてもらいました。また、しばらくしたら新型コロナウイルスの流行により、リモートワーク等が広まったこともあり、体力的な負担を減らしながら働くことができていました。このようにそこまでは順調でしたが、そこからは不利益なことを被ることにもなりました。まず、総合職から一般職に変更となり、これにより給与面で不利になることと、家賃補助がなくなってしまいました。また、新型コロナウイルスも落ち着いて来たこともあり、出社日が増えてきて、その頃、車椅子を利用するようになっていた私にはかなり厳しい状況になりました。このようなこともあり、現状この会社で働くのは厳しいという判断をして2023年7月に退職しました。 ###5. 病気を隠すことと開示することについて 僕は病気について職場や私生活でなかなか開示ができませんでした。しかし開示してみてからは、どんな配慮をお願いしたらいいか?を考えるようになったことで、自分の就労や生活を良くしていくためのスタート地点に立てたのかなと思います。もちろん僕のように次第に配慮してもらうのが難しい状況になっていく場合もありますが、その場合、転職等の他の方法で環境を変えることもできると思います。個人の意見ではありますが、今では病気のことを隠してひとりで抱え込んで苦労をつづけるよりも、開示してより良い環境をつくることを考えていけることの方が気持ち的にもポジティブで居られるのではと感じています。 ただ一方で、僕は病気を開示したことにより不利益を被ることになってしまいました。僕が勤めていたかなり大手の会社でもまだまだ難病者が働きやすい環境になっておらず、おそらく社会全体でみてもまだまだ難病者が働きやすい環境ではないのだろうと思います。そんな現状は変えていく必要があると強く感じています。 ###6. 活動の広がりと生きがいの発見 2023年7月の退職まで、働きながら、僕自身の「病気だからこそできること」として、難病当事者として見えることや感じることの発信をしてきていました。YouTubeチャンネル『とりすま』にて、たくさんの難病や障害のある方々やその支援者のインタビューをしてきました。また、難病当事者どうしの対話の場であるオンライン座談会の企画運営などもするように なり、2019年末にスタートし180回以上開催しファシリテーションしてきました。その他にも、様々なお声がけもいただくようになり、活動が広がってきました。東京2020のパラリンピックに聖火ランナーとして出場したり、執筆の依頼をいただくようになったり、何度かテレビなどのメディアにも出させていただけるようにもなりました。 当初は同じ難病や障害の仲間のために、彼らをエンパワーメントするためにという使命感で頑張っていた活動が、いつしか自分の生きがい・ライフワークとなり、充実した毎日を過ごすことにつながっています。 〔参考紹介:障害や難病のある当事者やご家族のための情報チャンネル「とりすま」イメージ〕 ###7.「とりすま」を軸にした新たな未来 退職後は、現在のYouTubeチャンネル「とりすま」での発信等で採算が取れ自分が食べていけるようになることを目標に取り組んでいます。会社員時代のように毎月決まった給与が振り込まれるということがなくなり、不安もあります。しかし、ライフワークを仕事にしていくというチャレンジは自分にとってもやりがいがありますし、同じ病気の方々や様々な困難を抱えている方々にとっての希望にもなれると思うので、とてもやりがいを感じています。これからも自分らしく仕事をして自分の人生をしっかり生きていきたいと思います。 〔障害や難病のある当事者やご家族のための情報チャンネル「とりすま」:https://www.youtube.com/channel/UCRfUoTiKEyCEkZPIyvMifaw 〕 ###Profile とりちゃん(鳥越勝) とりごえ・まさる 筋ジス活動家。12歳で難病ベッカー型筋ジストロフィーと診断を受けるが30歳まで周囲に隠して過ごす。現在はYouTube『とりすま』にて難病?障害に関する情報発信、難病当事者とご家族のためのオンライン座談会(延180回以上開催)の企画運営、バリアフリーeスポーツや車椅子パラグライダーへの挑戦など、“違い”をチカラに、周囲をエンパワーメントする活動を行う。