【207ページ】 ##Episode-11 波乱万丈!病と共に歩む私の物語~夢に向かってフルスピード~(夏目 亜季) ###波乱万丈の高校生活と初めての難病発覚 私は17歳で自己免疫性溶血性貧血と診断され、高校3年生で入院をしました。 その後夢ができ、アイドル活動をするべく上京。 順調にアイドル活動を行う最中、22歳でまた難病が再発し、入院。また23歳で子宮頸がんと診断され、闘病の末24歳で寛解。その後、25歳で自己免疫生溶血性貧血と診断されていた病ですが、全身性エリテマトーデスだったことが発覚し、再び入院することになります。 さらに28歳でも再発をし、10?20代は入退院、寛解と再燃を繰り返しながら生活してきました。 私の人生は総じて波乱万丈です。難病、生と死を彷徨う事故、がんと20代までに経験する人はなかなか少ないのではないでしょうか。 私は「なぜ自分だけがこんなに病にばかりかかり、不幸を経験しなければいけないのだろう」と思わずにはいられませんでした。 難病が初めて発覚した時は「このとてつもない怠さはなんなんだろう?動けない。死ぬのかな。」 と原因不明の突然の症状にとても怖い思いをしました。 高校生の頃はドクターストップもあり、体育の授業にはほとんど出ることができませんでした。 また学校が嫌いなわけではないのに、朝も非常に辛く、起きることができませんでした。 年間100日を超える遅刻、親が毎年学校に呼び出され、ギリギリのところでなんとか卒業することができました。 まさに怠け者、ズル休み、社会不適合者だと、自分自身も周囲も思っていたのではないでしょうか。 結果的にこれらは思春期特有のものというより、病に起因していたのではないかと病気が発覚してから思うようになりました。 〔写真:寄稿者写真〕 ###アイドル活動と再発する難病との闘い 入院しステロイドによる治療で一時的に体調は良くなりましたが・・・一方で薬の副作用がひどく、ムーンフェイスになってしまうことがとても辛かったです。 一時的に寛解しても、数年おきにまた再燃し、終わらないマラソンを走っているような辛さがありました。 アイドルという職業柄、見た目もとても大切です。 ムーンフェイスで顔がパンパンになってしまう副作用があるということを、この病気に詳しい人しか知らないのが普通なので退院して久々に会うと「元気そうだね」「太った?」と聞かれたり、楽屋でそのような事を言われているのを耳にしてとても悲しかった記憶があります。 20代は入退院の繰り返しで毎回同じ薬を使うので、本当の自分の顔がどれか忘れてしまいました。 とても悔しかったです。 〔写真:ステージで歌う寄稿者写真〕 ###顔が変わる?副作用との葛藤と自己発信の力 そんな中でも知ってもらおうと、赤裸々にブログやYouTubeに闘病記録や当時の思いを綴っていました。 またいくら顔がパンパンでも積極的にインタビューに答えたりメディア露出をやめませんでした。 それには理由があって、あまり知られていないこの難病のこと、また顔が浮腫んでしまい見た目が変わる副作用のことを知ってもらいたい、私と同じ難病の方も同じような理由で苦しんでいる方が多く、そういう人が世の中にたくさんいる事を知って欲しかった。 認知度が上がることで、偏見や、間違った認識で相手に発言をする人が少なくなるのではないかと考えたのです。 アイドル活動を続けながらも、難病の闘病生活は私にとって思っている以上に大きな壁でした。 度重なる再燃、異常な身体のむくみ。日々の体調の不安定さや激しい疲労感や関節痛に悩まされる日々が続き、時にはステージで急遽フリを変更しないといけないくらい体が痛い。 同じ難病者やファンの支えと病気に負けて夢を諦めたくないという想いで乗り越えることができました。 ###夢を諦めない生き方 また、この困難な状況の中で、私は自分の使命に気づきました。 それは、自らの経験を通じて、同じように病気と闘う人々に夢を諦める必要はない、病と共存しながらも夢に向かって活動できるという希望を見せたかった。また同じような状況で苦しんでいる方を制度の面で少しでも気持ちが楽にすることができたらと思ったのです。 難病者や患者だけじゃない、何か今踏み出せない人や挑戦を諦めている人、辛い思いをかかえながら生きている人に希望を与えられるのではないかと感じたのです。 仕事と病気の両立は決して容易ではなく、体調の変化や医療機関への通院など、日常的に調整が必要なことも多々あります。 アイドルを卒業し、政治家として働く今でも、感染症にかかりやすかったり体調に配慮が必要な時もありますが、私は自分のペースを守り、無理をしない働き方を心がけています。 それでも、長びく感染症に罹患してしまったり、免疫を抑制しているので辛いこともありますが、周囲の方の理解とフルタイム勤務という働き方ではない働きをすることでなんとか今の仕事を無理なく続けることができています。 社会に貢献し、他者のために働くことが私にとっての生きがいであり、社会とのつながりを持ち続けること、皆にありがとうと言ってもらえる事が私の支えです。 〔写真:議会で登壇する寄稿者写真〕 ###逆境を乗り越えて得たもの また、私は国の保険制度を含め、たくさんの社会、医療のサポートがあって生きることができています。 そう言った意味でも、病気を抱える人々が安心して働ける社会の実現を目指しています。 社会に貢献することで国や今までお世話になった皆に恩返しができるのではないかと考えています。 他にも、このような経験を通して、他者への共感や困難を乗り越える強さが培われたと思っています。例えば職場で遅刻が多い人、朝が極端に苦手な生徒を見ると、何か事情があるのではと思うようになりました。社会人としてあり得ないと思うのではなく、その方にはきっと事情や特性があるのではないかと思うようになりました。 また逆境に直面した時も、どうしたら乗り越えられるのか、パターンをいくつか想定し、覚悟を持ってどう転んでもいいように取り組んでいます。これまでの経験が政治活動においても大きな強みとなっています。 〔写真:寄稿者写真〕      ###私が実現した3つの難病政策 最後に、せっかくですので私が当選して取り組んできた難病政策についてお話しします。 1つ目に取り組んだのは、ヘルプマークの理解促進と配布場所の拡充です。ヘルプマークは難病の方に限らず、「見た目ではわからない方々」のための助け合いの印として広く使用されています。しかしながら、マークの認知度がまだ十分ではなく、配布場所が限られていたため、より多くの方が手軽に取得できるようにする必要がありました。 私が提案してきたのは、ヘルプマークの認知を広げるためのキャンペーンと、配布場所の拡大です。既存の都営地下鉄等に加え、区内の役所や公共施設など、よりこのマークに関連する人々が足を運ぶ場所での配布が可能になりました。この取り組みによって、多くの区民の方がヘルプマークを手に入れやすくなり、困った時に周囲の理解や助けを得やすくなる環境が整備されました。しかし、まだ認知度は十分ではないので引き続き取り組んでいきます。 2つ目は<難病患者通院費助成金交付事業>についてです。この事業は令和6年度からスタートし、私自身が初当選した1期目から強く要望していたものです。難病患者の通院時の負担を少しでも軽減できればと思い提案してきました。特に、私自身も経験しましたが、難病を抱えていると、急な体調の悪化で即入院が必要な時、救急車を呼ぶかどうか迷ったり、タクシーを使いたくても費用が気になってしまうことがあります。そのような時、通院にかかるお金の心配をせずに、必要に応じてタクシーを利用できるようにすることで、患者が安心して通院できる環境を整えたかったのです。特に、病院までの距離が遠く、身体的にも移動が負担になっている方が多くいらっしゃることを踏まえ、そういった方々にこの助成金を活用してもらいたいという思いがありました。この事業が実現したことは、長年提案し続けたことが形になり、心から嬉しく思います。 これについては、まだ制度が運用されて間もないので、また利用者から声があった際には柔軟に提案して参ります。 3つ目は、国宛に「難病患者の社会参加及び就労機会の拡充を求める意見書」の提出を荒川区議会全会派一致で提出できたことです。 初めて当選した際、私は難病患者が社会参加しやすい環境を整えることが重要だと感じ、荒川区議会で難病者にまつわるさまざまな質疑提案を行ってきました。その中でも、難病患者を対象にした区職員採用を進めるべきだと提案し、荒川区でも具体的な動きが見られるよう努力してきました。しかし、区独自では制度を変えることが難しく、広範な制度改革が必要であると感じました。 その後、私は「難病者の社会参加を考える研究会」に参加し、同じ志を持つ有志の皆様と共に勉強会を行いました。 そこで出たさまざまな意見、私なりの意見をまとめ、提出案をまず私の所属会派に出しました。提出案をもとになぜこれが必要であるか説明をしたところ共感を得ることができ、幹事長会でも同意が取れたので「難病患者の社会参加及び就労機会の拡充を求める意見書」を荒川区議会議員32人、全会派一致で提出することが出来ました。この意見書は、令和6年7月10日に採択され、国家公務員の障害者採用資格に指定難病患者を加えること、また独自の雇用制度を設けることを国に求めています。この取り組みは、難病患者の就労機会を拡大するための大きな一歩となりました。 最後に、難病患者の社会参加を推進し、病気と向き合いながらでも、自分らしく生きることができる社会、誰もが活躍できる社会を目指し、私はこれからも活動を続けていきます。 〔写真:議会での登壇風景写真〕 ###Profile 夏目亜季 なつめ・あき 荒川区区議会議員、元アイドル。平成2年生まれ。京都府舞鶴市出身。28歳で初当選。女性最年少の荒川区議会議員2期目。17歳で難病患者となり、23歳で子宮頸がんと診断される。自らの体験を元に講演・議会活動を行う。またアイドル時代の経験を活かし積極的にSNSでも発信している。総フォロワー約4万人。著書『逆境力~難病、子宮頸がんを乗り越えアイドルから政治家へ~』 (日本橋出版、令和4年)を出版。カラオケ、サブスク、楽曲配信中。メディア出演多数。 〔執筆者写真〕