【210ページ】 ##Episode-12 全身痛がくれた新しい働き方と生き方(みおしん) ###1. 痛みと疲労が当たり前 線維筋痛症歴25年、慢性疲労症候群歴15年の慢性疼痛患者です。幼少期から疲れやすさがあり、小学生になってからは、午前中に起き上がりづらく、週の半分近く10分~30分遅刻をしていましたが、一時限目後~夕方には元気で、放課後遊びをしてから帰るようなおてんばな女の子でした。 医師として手術麻酔業務を10年ほど経験し、現在は「痛みの認知行動療法」のカウンセリング事業に力を注いでいます。また、大学院で「痛みの視える化」を研究しながら、「ペインラボ」を運営し、患者さんと一緒にからだとこころの痛み分析と、かかりつけ医への架け橋を担っています。 ###2. 病気と仕事の葛藤の日々 2010年、カンピロバクター腸炎をきっかけに、私は慢性疲労症候群を発症し、研修医の道を中断せざるを得なくなりました。寝たきりの日々から、1年半のリハビリを経てようやく復職するも、脳に霧がかかってしまったように単語や文章が出てこなくなる「ブレインフォグ」や、労作後に突然気絶してしまう「クラッシュ」といった症状に悩まされながらも、職場に迷惑をかけまいと、どうにか欠勤せずに週4日間働き続けました。まさにサバイバルの連続でした。朝は、夜間に固まった筋肉をほぐし、むくんだ身体を少しずつ起こして、ようやくベッドから抜け出すところから始まります。職場にたどり着いたときには、すでに体力の大半を使い果たしているのですが、出勤後に待っているのは、朝のカンファレンスと麻酔の準備。しかし、「メイクしないのは社会人としてどうなんだ」と笑われるのは納得いきませんでした。 仕事の合間には、少しでも疲労を回復させようと、医局で机に突っ伏して眠るのが日課でしたが、その短い休息すらも、周囲から邪魔されたり、寒い手術室では、ヒートテックや上着を何枚も重ねて暖を取らなければならず、その姿に「麻薬中毒か?」と笑われたこともあります。その言動は、冗談とわかっていても心に深い傷を残しました。痛みや疲労の症状への無理解に囲まれながらもどうにか仕事をこなし、帰宅後には鉛のように重くなった身体を抱え、動けなくなる自分。患者を救いたいという医師としての使命感とは裏腹に、自身の体調すら支えられない無力感で、「医師になったのは間違いだった」と後悔し、何度も打ちのめされました。それでも、生きることをあきらめるわけにはいきません。どれだけ体が苦しくても、次辞めるときは死ぬ時だと決めていたからです。心が何度も折れそうになりながらも、耐える日々が続きました。 〔写真:仕事の合間に突っ伏して仮眠する寄稿者〕   ###3. 「これだけ努力しても消えない症状なら」 2014年頃から、「これだけ努力しても症状が消えないのなら、現代医学ではわからない何かの病気だろう」と開き直り、「どうせまた寝たきりになるなら、動けるうちにやりたかったことをやっておこう。」と、週末は、学生時代の趣味だったカメラを再開しました。徐々に新しい友人ができ、からだの痛みや疲労感は変わらなくても、外出ができると気づきました。その小さな成功体験は、仕事にも活きるようになっていきます。そして、2018年にようやく線維筋痛症と診断されたとき、私の人生は大きく変わりました。 〔写真:寄稿者の撮影した写真の展示〕 ###4. 新しい働き方の模索と挑戦 診断を受け、「自分のせいではなかった」と気づいたことで、新しい働き方を模索し始めました。まず、職場に「治療に専念したいので定時で帰れるように」とお願いしたのですが、上司は線維筋痛症の診断自体に懐疑的で、結果として逆に仕事が増え、残業が続く日々が待っていました(なんでやねん)。さらに、私の身体はすでに限界に達していました。専門医資格の維持には週3日以上の勤務が必要であり、この制度が「健常者目線」で作られていることに気づき、体を壊してまで資格を取るべきではなかったと強い絶望感に襲われました。しかし、過去を悔やんでも時間は戻りません。自分が選んだ道を少しでも正解に近づけるため、病院を辞める決意をし、麻酔科専門医を取得後、パワハラ報告書を提出して休職期間を経て、3ヶ月後に退職しました。そして、週1~2回働けるクリニックに転職することにしました。 収入は減ってしまいましたが、以前よりも自由に寝込め、毎週鍼灸で治療ができるようになったことは、私にとって大きな進歩です。また、「線維筋痛症」とインターネットで検索しても、ヒットするのは患者さんの悲痛な生活ばかり。200万人いるはずの線維筋痛症患者を診られる医療機関は少なく、高額な代替医療が流行している現状を見て、SNSの危うさにも課題を感じました。そこで、自宅から患者さんが治療を始められるオンラインサービスを模索し、WiTH PAiNが誕生しました。今は横になりながら、痛みと疲労との付き合い方を深めるコンテンツ作りに励む日々です。 〔写真:体重を支えられず、机に上半身を預けている寄稿者〕 〔写真:背中が痛いためうつ伏せで横になれると回復が早い〕 〔写真:外出先では必ず小休憩〕 幸いなことに、誰でも情報を発信できる時代です。病気が完治しなくても、自分に合った働き方を見つけ、可能性を切り開けるチャンスがあります。「もうだめだ」「もう無理だ」と思っても「まだだめなだけ」「できるかもしれない」と考えるようにして、私は臨床の数を減らし、自分のペースで在宅ワークで働く道をつかみとりました。 ###5. 二つの孤独から生まれる灯火 これまでの章で述べてきたように、病気を抱えながら生きることは、時に大きな孤独と向き合うことを余儀なくされます。しかし、その孤独は当事者だけのものではありません。家族や友人、同僚など、支える側もまた、どう接したらよいのか分からず、途方に暮れ、孤立感を抱えています。 孤独というものは、冷たく深い暗闇の中に一人ぽつんと取り残されているような感覚です。しかし、当事者と支える人たちが「相手もまた孤独を抱えている」と気づいたとき、その孤独は互いに溶けていくように和らぎます。共感の灯火に優しく包まれ、孤独をそっと溶かしていきます。 支える側の皆さんに知ってほしいことは、当事者にとって「ただ話を聞いてもらえるだけで救われている」ということです。「辛いね」「大変だね」と共感し、信じてくれるだけで十分なのです。また、病状を説明するのはエネルギーを消耗するため、気軽に他愛のない話や好きなことを話す方がからだが楽でいられます。 私自身も、病院の外で自分を受け入れてくれるコミュニティに出会い、ようやく前に進む力を得ることができました。そっと見守ってくれるだけで、どれほど支えになるか、ゆるやかなつながりの大切さを知りました。無理に解決しようとせず、ただ一緒に時間を過ごすことから見えてくる世界があります。小さな行動が積み重なり、自分を好きになるきっかけや、少しずつ自信を持つ力になります。   もし、今この文章を読んでいるあなたが病気や体調不良で悩んでいるなら、どうか無理をせず、あなたのペースで生きてください。痛みや疲労は目に見えないものですが、同じ辛さを抱える仲間が確かに存在します。信頼できる人と共に、一歩ずつゆっくりと歩んでいきましょう。そして、制限されている自分の活動できる時間を大切に過ごしていただければと思います。孤独は、誰かと分け合うことで小さな光が生まれ、その灯火が私たちと世界を結びつけてくれるから。 〔紹介:PAiN CARD/With〕 ###Profile みおしん MD, MSc ペインクリニック医 デジタルコンテンツマネジメント修士 10代から線維筋痛症による全身の痛みに悩みながら医師となり、カンピロバクター腸炎をきっかけに慢性疲労症候群も発症。後遺症と向き合いながら、麻酔科医として11年間、臨床の現場に立ち続けた。現在は、「痛みの視える化」をテーマに、学会発表や執筆、オンラインカウンセリングなどを通じて、抽象的な痛みを“共有可能な情報”へと翻訳する取り組みに注力している。2025年7月6日には、「車いす三銃士 Herz」として、ミュージカル『Next Dreamers 3rd.』に出演予定。 〔参照:ミュージカル『Next Dreamers 3rd.』https://www.hot-generation-ent.com/nextdreamers-3rd〕