【219ページ】 ##障害者雇用から難病者雇用へ 難病者の社会参加を考える研究会 マネージャー 森 一彦 私は会社員生活を送っていた2003年(45歳時)に難病のクローン病と診断されました。診断当初の2、3年は症状が落ち着かず入退院を繰り返しましたが、上司の理解によって時短・在宅を交えての勤務を続け不調期間をやりくりしました。その後、服薬などによって症状が落ち着いてからは、仕事が増えつづけて連日深夜残業となり、取得していた障害者手帳を頼りに残業のない障害者雇用への転職を考え、カウンセリングを受けた障害者雇用の紹介・支援会社に転職しました。   ###障害者の就労支援のなかで感じたモヤモヤ そして、2015年から2024年末までの約9年間、発達障害と聴覚障害のある方の障害者就労移行支援事業所の職員として勤務しました。事務の職場を模した通所型の事業所で、私は上司役でした。納期を設定した様々な仮想業務を利用者へ渡し、“報連相”をしながら業務を進めていただきます。そして、履歴書の書き方や面接の練習をしつつ就職活動に入り、企業実習などを経て、就職が決まれば退所となります。就職後の定着支援も希望者には実施しました。この仕事のなかで、私が感じてきたモヤモヤを以下記してみます。   ###1.就労移行支援事業所は障害の「医学(個人)モデル」に基づく仕組み 現在では、障害は本人の内側にあるものではなく、周囲の態度や環境による障壁が障害であるという「障害の社会モデル」の考え方が広まりつつありますが、旧来の社会の価値観である「医学(個人)モデル」に基づく仕組みであるため、障害者を訓練しいかに社会になじませるかが目的となっています。当事者の側に立ち、一緒に作戦会議を開き就労を勝ち取ろう、というスタンスに努めながらも、どうしても社会の価値観を押し付けようとしている自分がいました。   ###2.就職先の企業や社会は、“未開の地” 就職先の企業や社会は、DEIが進んだ企業でも共生社会でもなく、差別や偏見がまだまだ残る世界であり、法定雇用率への数合わせの雇用であるとするならば、“卒業=就職”を手放しではとても喜べませんでした。 ###3.「障害者雇用」が向かう先は共生社会か分断社会か あるカテゴリーに属する人間を、社会のなかで分離・隔離することは、そもそもあってはならないことだと思います。日本の「障害者雇用」が向かう先は、共生社会なのか、はたまた分断社会なのか。自分たちの日々の仕事が、どちらに加担しているのか、時々わからなくなりました。   ###4.「障害受容」は誰のためにある? 「障害受容という言葉を無自覚に使う支援者が多すぎる」と、かつてある大学の先生から私自身が指摘を受けたことがありました。この言葉は、「障害受容できていることが採用の条件です」などと使われます。就労移行支援事業所や障害者雇用の現場ではよく聞かれる言葉です。当事者本人が、自身の機能障害や病気を受け入れ生きようと自分で使う言葉としては良いのだと思います。そもそも当事者にとって、障害や病気は日々共存している日常であり、身体の一部です。いったい何を受容し、だから何に甘んじろというのでしょうか。あるカテゴリーに属していることを、なぜ障害者だけが「受容」を強いられるのでしょうか。 ###5.法定雇用率は目的なのか? 2018年に発覚した官公庁による障害者雇用水増し問題は象徴的で、数だけ形だけ整えることがいかに空虚な行為かということを、私たちに教えてくれたように思います。現在の日本の障害者雇用の一番の問題は、法定雇用率の数合わせが目的となってしまっていることです。   私が勤務していた就労移行支援事業所では、利用者の就職=退所が決まると、最終日に“壮行会”を開いて送り出しました。利用者仲間や職員からのエールが語られたのち、多くの場合は手紙を書いてきた本人が感謝の言葉を述べ、本人は感極まって涙を流し、送り出す側も目頭を熱くするシーンがみられます。 しかしながら、卒業生が飛び込む職場や社会は、残念ながら決して寛容な社会でも、DEIが進んでいる職場でも、共生社会でもありません。 ある特例子会社では、非正規雇用で賃金は年齢や能力に関らず最低賃金、何年在籍しても昇給も昇進も無いという条件でした。本人が喜んでいたとしても、その様な就職が、壮行会で涙を流して感謝される事柄であったのかどうか。職員であった私自身がそのことにどれだけ自覚的であったのか、残念ながら、大いに疑問であるといわざるをえません。 ###ある卒業生の言葉 もっとも、このような社会との矛盾を抱えつつも、昼夜を問わず当事者の就労に真剣に取り組まれている職員や関係者にも、数多く出会ってきました。それは救いでした。特例子会社の職員でありながら、障害者を分離・隔離する特例子会社に疑問をもち、本社の経営陣の理解のなさを嘆く支援者にも出会いました。 また、障害者の法定雇用率や特例子会社の制度によって、障害者の就労者が増えたことは紛れもない事実であり、否定するつもりはありません。企業も社会も、少しずつ良い方向に向かっているとは思っています。 特例子会社に就職できたことを、心から喜ぶ卒業生もいました。「ずっと最低賃金で昇格もないけれど、今の自分にはここが合っています」と。その方は、「自分は小学生の頃から普通学級に通い、ぼろぼろに傷ついてきた。今のように特別支援学校が多ければ、傷つかずに済んだのに」ともいわれました。その卒業生からは、こうもいわれました――「森さんは鎧を脱いでありのままの自分でいいといわれるが、それでどれだけ傷ついてきたと思っているんですか」――と。   卒業生の言葉に、頭でっかちだった自分は呆然としながらも、しかしそれでもなお、障害者を隔離・分離し管理する手法はDEIの考え方とは異なり、「共生社会」を目指していたはずが、気が付いてみたら「分断社会」に向かっていた、という笑えない状況にならないとも限りません。 「障害者差別解消法」第1章第1条(目的)を読むと、「全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする」――とあります。法律の主語は全ての国民であり、目的は共生社会の実現なのです。 ###失われた30年と障害者雇用 なにかがおかしいその大元をたどってみれば、企業や官公庁の「思想のなさ」に至るのではないでしょうか。思想のなさとは、言い方を換えれば、自分の頭で考えることの欠如です。「裸の王様」を指摘できない、当たり前の大切なことを考えられない私たちに、いつのまにかなってはいないでしょうか。 1990年代初頭のバブル経済の崩壊から平成の時代、日本経済は“失われた30年”といわれています。一会社員としてこの時代を過ごした私の実感としては、まさに「自分の頭で考えることの欠如」が常態化した30年であったように思います。2000年代初頭に顕在化した食肉偽装問題や、その後に頻発した検査データの偽装問題、そして、官公庁の障害者雇用の水増し問題。そこには共通するものが、あるような気がしてなりません。 特例子会社の設立時に、障害者雇用の本質と親会社の経営戦略、あるべき組織像を自分の頭で考え抜いた経営者が、いったい何人いたでしょうか。事なかれ主義や横並び意識、優先順位に値しないという思考停止はなかったでしょうか。会社全体の将来に、ボディブローのように影響してくる選択であったかもしれないのに。   それは、分離教育が進む学校教育の現場とほとんど同じ状況であることを考えると、日本企業の問題というよりは、日本社会全体の問題なのだろうと思います。直近10年間で義務教育段階の児童生徒数は1割減少する一方で、特別支援教育を受ける児童生徒数は倍増しています(文部科学省「特別支援教育の充実について」令和5年)。教育現場から凹凸のある生徒や障害者を排除することで、私たちは障害児のみならず一般児童の学びの機会をみすみす奪ってはいないでしょうか。そうまでして、私たちはいったいどのような人間を育てたいのでしょうか。   企業もまったく同じで、障害者を分離し囲ってしまうことで、企業がしなやかで強い人間的な組織、心理的安全性が高く誰もが働きやすい組織、それぞれの凸凹をやり繰りをしながら生産性の高い組織に変わるチャンスを、みすみす逃してきているのかもしれません。 ###難病者の社会参加・就労問題は手つかず 長々と障害者雇用について語ってしまいましたが、さて、難病者の社会参加・就労問題です。日本に700万人いると推計される難病者ですが、その社会参加・就労問題については、まだまだ手つかずの状況です。しかし、手つかずであるからこそ、可能性があると私は考えています。   本白書でも紹介されていますが、昨年(2024)、山梨県が県一般職員の募集に全国で初めて障害者枠とは別枠で「難病患者枠」を設け、障害者手帳の有無を問わない採用試験を実施しました。全国の自治体や企業が、法定雇用率の達成ばかりに注目するなか、「目的はそこではないよね」と言ってくれているようです。 この山梨県の取り組みのきっかけとなる議会質問をされた藤本好彦議員は、南アルプス市で すもも農家を営まれ、農業など第一次産業の復興を中心に政治活動をされています。失礼ながら福祉や社会保障の専門家ではなかったからこそ、日々畑と土とともにあったからこそ、自然界を含めた共生社会がごく当たり前に頭のなかにあり、このようなブレークスルーを実現されたのではないかと私は感じています。   山梨県の難病患者枠は、障害者総合支援法の対象となる疾病(令和6年募集時369疾病)の診断を受けている者を対象としています。対象は約108.7万人、対象外は約600万人いると推計されています(難病者の社会参加を考える研究会推計)。まだまだ一部とはいえ、重い扉を最初に開いてくれた意義は非常に大きいと思います。 この“やまなし方式”が、全国の自治体や企業へと広まることを願っています。 ###難病者雇用の進め方 障害者雇用の制度疲労ともいえる状況と課題を乗り越えて、難病者雇用はどのように進めていけば良いのでしょうか。日々、難病者の社会参加を考える研究会のなかで話し合っていることを基に、私が考えるポイントを述べたいと思います。 ###1.制度による雇用促進と、制度によらない雇用促進 難病者の法定雇用率への算入など、制度による雇用促進と、“やまなし方式”のような制度によらない(義務化しない)雇用促進と、両方向から進めていくことが大切です。   ###2.難病者は重篤というネガティブイメージを一新する 症状が安定してからは毎日深夜残業をしていた私のように、少しの配慮があれば十分に働ける難病者が少なくありません。また、難病者は自分で医療機関と繋がっているケースが多く、職場には医療関係者を必要としない場合がほとんどです。   ###3.企業にとってのプラス面にフォーカスする 法定雇用率を守るため“仕方がないから”という雇用では、会社側にも本人にもプラスにはなりません。企業・組織にとってプラスになるから雇う、という方向へ認識を改めることが必要です(前述したように学校教育でも同じです)。私が考えるプラス面を以下に記します。   【難病者雇用の企業・組織にとってのプラス面】 a)労働人口減少を解消する切り札となる b)柔軟な働き方の導入・拡大により、復職者や子育て・介護世代など、制約のある誰もが働きやすい職場になる c)弱さ(制約)を開示できる組織は心理的安全性が高まり、短時間労働者の混在からも、生産性の高い組織に変わる d)各人の力を補いあう文化は自律した集団を育て、従業員エンゲージメントを高める e)世界的なサプライチェーンのなかで、「人権」への配慮は今後必要度が増す   ###最後に 手つかずであるが故に可能性のある難病者雇用によって、”共生社会”への道筋を示すことができたとしたら……。それはきっと、障害者雇用のあるべき姿へも、逆照射をしてくれるのではないでしょうか。 私は、“失われた30年”を会社員として過ごしてきた一人の難病者です。専門家でも研究者でもないので、自由きままに言いたいことを書きました。本稿は、障害者雇用の現場で日々奮闘するかつての同僚や知人の努力や苦悩を、否定する意図ではないことを、最後に改めて記します。 難病者の社会参加・就労は、私たちの社会に大きなプラスのインパクトを与える可能性があります。この『難病者の社会参加白書』でその可能性を少しでも感じていただけたなら幸いです。   ###PROFILE もり・かずひこ:1958年生まれ。45歳時にクローン病と診断される。 百貨店・外資系広告会社・障害者雇用の紹介支援会社等に勤務。2024年1月から難病者の社会参加を考える研究会に参加。趣味は山歩きと爺バンド。方正友好交流の会理事。 〔写真:寄稿者の写真〕