【184ページ】 ##Episode-2 車いすでもあきらめない世界をつくる(織田 友理子) ###病気のこと 私はNPO法人PADM(遠位型ミオパチー患者会)の代表です。遠位型ミオパチーとは、手足の先の筋肉から衰えていく、進行性の筋肉の病気です。2000年頃に病気が発病し、その頃までは歩いたり走ったりできていたのですが、徐々に足元がおぼつかなくなってきました。 ###発症したころ 発症した当初、友人の会社に社員として雇ってもらっていたことがありました。その頃、まだ他の会社ではほとんど導入されていなかったリモートワークを認めていただいていたので、就労に関してあまり困難に感じることはありませんでした。 その後は、出産時に切迫早産で入院してしまったため、その会社は辞めて、出産後1年経った頃から難病指定及び希少疾病の新薬開発制度の確立を求めて患者会の活動に没頭することになりました。 〔写真:PADM患者会集合写真〕 ###働くということ 「何もしなければ何も変わらない」「一日も早く患者の手元に薬を」というスローガンを掲げ、患者会員や医者・研究者・製薬会社・行政など、みんなで16年間、粘り強く活動を続けてきました。その結果、2024年3月にはついに遠位型ミオパチーの新薬開発が承認されました。多くの人から無理じゃないかと言われる中でも、目標に向かって進んできた年月でした。働くということは、単にお金の多い少ないではなく、社会のために活動できることこそが、私にとって働くことの意義を感じさせてくれます。 〔写真:大臣要望と署名約204万筆提出〕      ###休むことを引け目に感じて 人の目を気にするあまり、休むことを後回しにしてしまうことは、今でも癖として残っています。自分の体を健康に保つことが一番大切なのに、健康な人の中に混ざってしまうと、休むことに引け目を感じてしまって、体を酷使してしまいがちです。そのため、持病のメニエール病や多発性硬化症を悪化させたりもしました。最近は段々と自分の体を大切にすることを覚えてきましたが、まだ十分ではないと考えています。 ###変わらない自分 病気になってしまうと、働き続けることが難しくなるかもしれません。 私は病気になった瞬間は、国家試験を目指して勉強していましたが、誰もがそんなに無理しなくていいよと励ましてくれました。でも気遣ってくれたのが逆に、「私は頑張る価値のない人間なのかもしれない」と辛く感じることもありました。そんな時に大学の先輩が「だからこそ頑張った方がいいよ」と励ましてくれました。 社会は「できる/できない」で人間の価値を判断してしまいがちですが、病気になっても人間性が変わるわけではないと教えてくれた瞬間でした。私自身どんな状況でもひねくれず、まっすぐ生きていきたいですし、誰もがそうして生きていける社会の実現を願っています。 そんなことから、私自身はどんな状況になっても働き続けられ、得意分野で力を発揮していける団体運営を目指しています。自分が当事者の立場で生きているからこそ、「自分だったら、こういう会社だったら良かったのに」という思いを実現していきたいです。 〔写真:PCへの視線入力〕 ###病気だから気づけたこと 病気だから気づけたことは、人の優しさです。一つ一つのことが嬉しく、ありがたく、心が温かくなります。優しさを伝えていただき、私がそれを受け取り、その授受が心の交流につながっていくことを感じます。 「ありがとう」ばかり言っていて卑屈になってしまう気持ちは、過去にはありましたし、そういう話もたまに聞きます。でも、私は「ありがとう」をたくさん言える今の状況は、素敵なことだと捉えるようになれました。 人は誰しも、誰かにありがとうと言われたら嬉しいのですから、私はありがとうと感謝の気持ちを思いっきり伝えることができる場所にいられる。言わば、たくさんの人に、たくさんのプレゼントを配っている感覚になれた時、こんな状況も悪くないんだなと思えるようになりました。なかなかそう思えるのも簡単ではないと思いますが、捉え方次第、気持ち次第で生きやすさは変わってくるものですよね。 ###病気の開示と周囲の反応 妹はヘルパーの資格を取ってくれて、半年弱にわたるデンマーク留学に同行してくれました。 友達については、はじめ仲の良いグループの友達に、病気のことを言えずにいたらすごく怒られました。「言ってくれなきゃわからないでしょ、手伝えないでしょ」と。このグループのお友達は重度訪問介護の資格を取ってくれて、一緒にハワイに行ったり、未だに国内旅行をしたりしています。 遠位型ミオパチーについては隠すことはしないようにしています。患者会活動をしていることもあって全面的に開示しています。でも、だからと言って、全ての人が全ての病気を開示できるわけではないことも感じています。 私は遠位型ミオパチーだけではなく、神経疾患の多発性硬化症も患っています。多発性硬化症については、なかなか言い出せずにいました。開示するのに何年もかかりました。出張中に沖縄で倒れ、1ヶ月弱入院した時に、やっとのことでSNSで発信することができました。 タイミングはそれぞれかと思います。自分の気持ちが追いついていないのに無理に開示することもないと思います。良いことも悪いことも、自分が心から納得した時に、その先に起こる出来事に対して責任を持って受け止めていく心構えが備わってくるのだと思います。 ###周囲とよりよい関係性を築くために 私は「何でも聞いてください」「何でもお答えします」とお伝えするようにしています。腫れ物に触られるように接してもらうのが苦痛で仕方なかったからです。気を遣っていただくのも気が引けますし、悪気があっての発言や行動ではなく、良かれと思って、もしくは、ただ知らなかっただけのことなので、お互い円滑なコミュニケーションを長期的に取るためには、相手に寄り添うことを求めるだけではなく、自分からも寄り添っていきたいものです。きっと相手も困っているのではないかと察します。 病気をテーマにしたコミュニケーションは、それなりに精神的に負担がかかるものですから、一時的な関係でしたらそこまで頑張る必要はないですが、長期的にその人と関わっていきたい、繋がっていきたいと考える相手でしたら、自分からも頑張っていきたいものです。 ###Profile 織田友理子 おだ・ゆりこ NPO法人ウィーログ代表理事およびNPO 法人PADM 代表。2002 年に難病「遠位型ミオパチー」の診断を受け、2008 年にその患者会「PADM」を発足させる。2014 年にバリアフリー情報を発信するYouTube チャンネル「車椅子ウォーカー」を開設。2015 年のGoogle インパクトチャレンジでバリアフリーマップのアイデアを発表しグランプリを受賞。2017 年にバリアフリーマップ「WheeLog!」アプリをリリース。“車いすでもあきらめない世界をつくる”をミッションに掲げ活動を展開。ジャパンSDGsアワードSDGs推進本部長(内閣総理大臣)賞、ドバイ万博 Expo Live Global Innovator など、国内外で多くのアワードを受賞している。一児の母。