【192ページ】 ##Episode-5 「自分で決める!」を取り戻す!(近藤 菜津紀) ###病気という認識がない   私は、中学生の頃にインフルエンザになった後、症状が出始めました。体に思うように力が入らず、歩行が難しくなったり、布団から起き上がれないこともありました。発症以来、症状が出ない日はありません。しかし、どこの病院へ行っても「わからない」「ストレスじゃないですか」などと言われ続け、これといった治療も受けられない日々が続きました。 中学、高校へは通えない日も多かったのですが、似たような症状の人が周りにいなかったことや病院で診断されなかったことから、体調の悪さを説明することも難しく、独りぼっちになってしまったような気がしました。 学校の先生からは「悩みがあるなら相談しなさい」と言われましたが、「体調が悪いこと」自体が悩みだったので、どう話していいかわからず、結局何も言えませんでした。 幸い、両親は、私がやりたいことを応援してくれて、3浪しても何も言わずに見守ってくれたため、ベッドで寝たまま勉強し、何とか大学に合格。一人暮らしを始めました。 「寝たまま勉強できるなんてすごい」と褒めてもらったり「一人暮らしに不安はなかったのか」とよく聞かれますが、本人は寝たきりに近い状態でも「自分は健康なはずだ」と思い込んでいたので「私は、なんて頭が悪いんだろう(決していいとは言いませんが)」と悩み「一人暮らしなんて、自由に生活できて最高だ」と思っていました。 病識がなかったからできたことかもしれませんが、病気だとわかっていたら、もう少し工夫のしようもあったのではないかと思います。 傍から見たら、とても能天気、よく言えば「前向き」だったのですが、ここに大きな落とし穴がありました。 ###病気と仕事 「継続して仕事をしたい」これは、私が社会人になって、ずっと思ってきたことであり、なかなか実現できなかったことでもあります。 獣医師となったものの、とにかく仕事が続きませんでした。町の動物病院での仕事は、立ちっぱなしですし、残業も多く、病気のない人でもかなり体力勝負の業務です。働き始めて1週間くらいで立っていることが難しくなり、こっそり壁に寄りかかって仕事をするようになりました。それでもやりがいを感じていたため、「何とか続けたい!」と耐えていました。しかし体は限界を通り越し、様々な問題が起り始めました。 〔写真:獣医師として猫を抱く寄稿者〕 一番困ったのは、思考力の低下です。頭にモヤがかかったような状態で、カルテの入力を間違えてばかりいました。また、手足に力が入らず、動きが鈍くなって、着替えができなくなりました。そうして、初めての仕事は5ヶ月で幕を閉じました。「仕事はとても楽しかったのに、どうしてやめなければならなかったのだろう」と頭が混乱し、しばらく何をどうすればよいのか途方に暮れる日々が続きました。 その後、子供が生まれて、再び本格的に働くことを決意しました。「よし、公務員獣医師になろう!」出産して2ヶ月経った頃の私の台詞です。当時は、仕事をしていなかったことでお金もなく、焦っていました。また「せっかく獣医師になったのだから、とにかく働きたい!」という気持ちも強かったと記憶しています。 無事に公務員となり、担当となったのは、お肉の検査(皆さんが食べているお肉は獣医師が検査をしています)。そのときも立ちっぱなしで、一日何百頭もの豚の内臓を検査しました。包丁を持って、毎日、内臓を検査する日々…とても楽しかったです…こうして書くとすごく変人ですが、日々新しい発見があり充実していました。また、皆さんの食卓の安全を守っているという自負もあり、誇りを持っていました。 しかし、やはりこのような仕事が続くはずもありません。どんどん体の動きは悪くなり、全身の痛みや脱力感などから、立つことも話すこともままならなくなりました。ただ、そのような状態であっても、休職するには診断書がなければ難しいと言われ、症状から必死に診断してくれそうな病院を探して受診し、ようやく「慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎」と診断書を書いてもらうことができました。 20年間悩んできた症状に名前が付いたときには、一人で抱えなくてよくなったことに安堵し、心の中で「よし!!!」と拳を握りしめたくらい嬉しかったです。そうして、病名がつき、病気に対する知識を得てからは、無理をしない方法を模索するようになりました。名前がついたことで、ようやく「悪化予防と治療」のスタート地点に立てました。 ###なぜ働くのか 「生活費を稼ぎたい」「子供に教育を受けさせたい」「旅行に行きたい」「誰かの役に立っている実感が欲しい」「自分の思いを表現したい」これが、私の働く理由です。 難病でない方は「なんだ、私と変わらないじゃないか」と思われたのではないでしょうか? 私の中で、病気への対処方法は「メガネをかける」ことと同じです。私は近視で、裸眼では離れた場所にある物がぼやけるため、メガネをかけています。不便なことへの対処という意味では、病気に関することも同じです。 仕事に関して言えば、通勤することを止め、在宅ワークに切り替えました。長距離歩行は翌日以降の体調への影響が大きく生活に支障が出るため、車椅子を使用しています。「メガネをかける」より大変ではありますが、「何もしないと生活するのに不便なこと」に対して対処しているだけであり、自分にとって特別なことではありません。 〔写真:在宅ワークをする寄稿者〕 病気があることは、私の一部ではありますが、全部ではないのです。普通に生きて、普通に悩んで、普通に楽しいと思うことを楽しんでいます。 ###「自分で決める!」を取り戻す! 工夫することで、やり甲斐をもって仕事ができていると思う一方で、課題もまだまだあります。特に仕事のスケジュールと体調管理のバランスをとることは、私にとって悩みの一つです。 「あれもこれもやりたい」「誰かの役に立てるなら」という思いに駆られ、頼まれた仕事は、ほとんど断らずに取り組んできました。しかし、それが積み重なると体調が悪化してしまいます。実際、やり甲斐だけで突っ走った結果、耐えきれなくなって、あるときパタッと辞めてしまうことを繰り返してきました。後任の人ができるだけ困らないように、引継ぎなど、できることはしてきたものの、仕事を継続できない申し訳なさと後ろめたさを抱えてきました。 今、私は両育わーるどのメンバーとして、難病者の就業状況と生活を可視化するサービスの開発に携わっています。 これは、日々の症状や業務負荷、ストレスを可視化することにより、体調の安定化と継続就労を目指す取り組みです。私自身も体調を可視化してみたところ、体力に対して、明らかにスケジュールを詰め過ぎであることを改めて実感しました。また、外食など食事量が多過ぎることが、私にとっては負担が大きいこともわかりました。そこで「休み」という枠をあらかじめ作り、予定を入れないようにしたり、外食の回数を減らすよう心がけました。すると本当に少しずつではありますが、体調が安定する日が増え、ダウンして寝たきりの時間が減ったのです。結果的に仕事を安定してできる時間が増えてきました。 この取り組みで、私は「自分の時間は、自分のものであり、自分で決めるもの」であることを実感しました。これまでも、自分の人生に関わることは、主体的に決めてきたつもりでしたが、与えられた仕事に対して「仕方ない」と受け身で流されてきた部分も少なからずあることに気付きました。 このようなことは、病気があるかどうかに関わらず、全ての人が一度立ち止まって考えることにより、より生きやすくなるのではないかと感じています。 私自身は、自分の役割を果たすべく、今後は張り切りすぎず、ときにはペースダウンしつつ、一歩ずつ進もうと日々自分に言い聞かせています。 ###Profile 近藤菜津紀 こんどう・なつき 鳥オタクの獣医師であり、慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎当事者、一児の母ちゃん。ペットの栄養相談やペットロスのケア、原稿執筆などを行っている。「はたらきたいのに働けない人」の役に立ちたいと思い、キャリアコンサルタント資格を取得。日本で唯一の「寝ながら獣医さん」として活動中。著書に『病気と闘わない!仕事、結婚、子育て…完治しない病気だから気付けた本当の幸せの見つけ方』(2020年、株式会社ジーオーティー)