【195ページ】 ##Episode-6 37歳からはじまった、NMOSDとの道(坂井田 真実子) ###1. 病気と仕事 クラシック歌手として生きることは、日本において非常に稀なことです。この業界では、実力のほか、人との縁や評価者の好みに大きく左右され、数値的な基準が存在しないため「好き・嫌い」で判断されることも多々あります。そんな中、37歳で発症した病気 視神経脊髄炎スペクトラム障害(NMOSD)は、歌手としての楽器である身体の機能を大きく損ないました。しかし、リハビリ病院を退院後すぐに演奏活動を精力的に再開したことが、現在も歌手として活動できている大きな理由のひとつです。   当初は、自分の弱さを見せることで次の仕事に影響が出るのではないかと恐れ、病気や障害をひた隠しにしていました。しかし、一度現場に出ると、その無理がパフォーマンス全体に悪影響を及ぼすことを痛感。些細なリクエストであっても周囲に伝える必要性を学びました。たとえば、歩行障害があるため「楽屋を舞台に近い場所にしてほしい」「舞台への階段には手すりをつけてほしい」、排泄障害があるため「トイレの場所を案内してほしい」といったお願いです。これらを自ら発信し、スタッフや関係者に共有することで、現場全体の理解が深まりました。結果として「視神経脊髄炎」や障害に対する認識も広がったのです。   一方で、未だにオーディションの条件として「心身ともに健康であること」が求められる現実があります。オリンピックにパラリンピックがあるように、舞台芸術の分野においても、障害を持つプロによる演奏機会が増えることが、今後の大きな課題だと感じています。 〔写真:舞台で歌う寄稿者〕 ###2. 試行錯誤の日々 私はクラシック歌手として活動するだけでなく、患者会の代表としても責務を担っています。これまで経験のなかった膨大な事務作業に直面し、当初はすべてを一人で抱え込んでしまう状況に陥りました。歌手の仕事は、自分と楽譜の世界で完結するため、他者と連携するという新たな挑戦が必要でした。   現在は、他者へ仕事を依頼することの重要性を学びました。この気づきは、患者会の活動を成功させる鍵ともなっています。失敗を重ねながらも、協力を仰ぐこと、役割を分担することの大切さを実感しています。 〔写真:NPO法人日本視神経脊髄炎患者会での集合写真〕  ###3. 病気を通じて得たもの 視神経脊髄炎を経験したことで、「他者の個性を知ることが、共に仕事をするうえで重要だ」と気づきました。歌手として舞台に復帰した際には、私の前から離れていった人たちもいれば、病気を理解し支えてくれる人たちが残っていることにも気づきました。   最大の学びは、「不自由は不幸ではない」ということです。身体的な困難を抱える中でも、自分なりの幸せを見出し、前向きに歩む道を見つけました。 ###4. 病気の開示について 私にとって、病気の開示は必要不可欠です。歌手にとって身体は楽器であり、その状態を主催者や関係者に伝えることは、演奏の質や責任にもつながります。自分の体調を正直に共有することで、現場での対応がスムーズになるだけでなく、結果として病気に対する理解も深まります。 ###5. 周囲からの接し方 視神経脊髄炎は再発を繰り返す病気です。しかし、その原因は解明されておらず、生活における「ストレスを避ける」といった指標も曖昧です。私が再発した際には、「患者会と歌手活動の両立が忙しすぎたのでは?」「もう少しセーブするべきでは?」といった言葉をかけられることがありました。けれども、そうした声はまるで自分の生き方そのものを否定されているように感じてしまうことがあります。   たとえば、うまくいっているときには「難病患者なのに頑張っている」と評価される一方で、再発すると「難病患者だから無理をしすぎた」と見られる。この二律背反的な見方には、常に居心地の悪さを感じます。特に、健康そうに見える私の場合、周囲の人々が私の障害を忘れてしまうことも少なくありません。   病気をどう捉えるか、周囲の接し方について明確な答えは出ていません。しかし、私が強く望むのは、「その人」と「病気」を切り離して考える姿勢です。「病気」はその人が作り出したものではなく、誰にでも起こりうるものであり、そこに差別が生じてはなりません。人を病気で区別せず、「人」を見ることで、より柔軟な協力体制や仕事の配分が可能になるはずです。 ###Profile 坂井田真実子 さかいだ・まみこ 高校まで自由学園で学び、国立音楽大学及び同大学院修了。ロータリー財団奨学生として渡伊。伊セギッツィ国際ソリストコンクール聴衆賞(2位) 受賞。文化庁新進芸術家海外研修派遣員としてウィーン留学。二期会会員。キャリアを順調に積んできた2016年のある日、国指定難病 視神経脊髄炎スペクトラム障害を発症、一時は下半身不随となる。 現在は後遺症や病症と共存しつつステージへ復活。「奇跡のソプラノ」と言われている。現在までに2回再発し、さらなる後遺症や病状があるが、病と共存しつつ意力的にステージで歌っている。日本初 NPO法人日本視神経脊髄炎患者会を設立、理事長を務める。RDDJapanアンバサダー。 〔坂井田真実子ホームページ https://sakaidamamiko.com〕 〔NPO法人 日本視神経脊髄炎患者会ホームページ https://nmosd-japan.com/join/〕