【199ページ】 ##Episode-8 痛みのことと働くことと(瀬戸山 陽子) ###1. 自己紹介と痛みについて 私は医療系大学で教員をしています。こめかみをアイスピックで刺されるような鋭い痛みを感じる三叉神経痛を最初に感じたのは、15歳の時でした。そこから(年がばれますが、でも少しアバウトに)25年以上経ちます。顔を刺されるような電撃痛なので話が止まるくらい痛いのですが、痛みは長くても30秒程度。その後はケロッとおさまるという、とても不思議で不可解でいら立つ痛みです。これまで脳外科の手術も含め様々な治療を試していますが痛みはゼロにはならず、今は2-3週間に一度外来で神経ブロックを受ける治療を続けています。 ###2. 痛みによる仕事への影響 私の痛みは長くは続かないのですが、何の前触れもなくアイスピックでこめかみを刺される痛みが来ると、毎回、文字通り動きが止まります。食事や会話はできなくなりますし、洗顔や歯磨きもできません。外出時、例えばエスカレーターに乗っているときに痛みが来ると降りられず、自分も周囲の人も危険です。また痛みそのものと同じくらい、痛みが来るかもしれないという怖さが厄介です。いつ来るか分からない痛みにおびえて、とても苦しくなった時期もありました。さらに人前で痛みが出てしまった時に相手を驚かせてしまったり、痛みがある時期は相手と同じものが食べられないため、人間関係などの社会的な影響もとても大きいと感じています。   痛みは仕事にも大きく影響してきました。薬の副作用で体力的に厳しいと思ったこともありますし、電車の中で痛みが起きて運行を遅らせてしまったことをきっかけに、職場近くに引っ越しました。また会議の途中で痛みが起きて、周囲にとても心配されたこともあります。痛みが理由だと直接説明はされていませんが、対外的な対応が必要な役割から名前がなくなっていたこともありました。 ###3. 7割で働く   こんな生活なので、仕事を続けられないかもしれないと思ったことはこれまで何度もあります。それでも仕事自体はとても好きで、自分なりにやりがいを持って取り組んできました。今の職場はちょうど10年になりますが、ここ数年は7割くらいのエネルギーで仕事をしています。7割で働いていることについては、もちろん現在進行形で葛藤もあります。もっとやりたいことを突き詰めたいという悔しい思いもありますし、やる気がないと見られるのではないかと周囲の目も気になります。   ただ痛みがあるから出会えた人や感じてきたことは、自分の人生にとってかけがえのないものです。痛みがないときの日常は本当に幸せを感じます。洗顔ひとつとっても、大げさではなくて「幸せ」です。また家族や友人、同僚、20年以上の付き合いになる主治医から、サポートや優しい気持ちを受け取ることは、本当に何ものにも代えられずありがたく感じます。海外のオンラインコミュニティを通じて同じ病気の仲間と知り合いにいなり、米国のカンファレンスで実際に会えた時は思いっきりハグして悩みも愚痴も将来の夢も夜通しで語り合いました。   また私は痛みのための手術の後遺症で、歩行障害があり杖を使って生活をしています。職場の大学には医師や看護師を目指す学生がいますが、私が荷物を持てないときなどは学生に手伝ってもらうことがあります。助けてもらっている立場なのにおこがましいですが、将来医療者になる学生たちが、白衣を着なくても自然に周りの人を助けられることを知って、とても誇りに思います。   こんな出来事が織り込まれているのが、「仕事は7割」の私の日常です。痛いことがつらく、できないことを悔しく思い、イライラする瞬間は今もたびたびありますが、それでも、出会えた人や感じられていることを抱きしめて生きていきたいとそんな思いでいます。 ###4. 2冊の本から考える多数派と少数派 障害者差別解消法の施行から、「この社会は、多数派仕様でできている」という言葉が良く聞かれるようになりました。街に段差があるのも、電車が入ってきたのを音で知らせるのも、会議で印刷したプリントが配られるのも、目を合わせて挨拶するのが礼儀正しいとされるのも、9時5時で働くのも、多数派が良かれと作ってきた環境や制度、文化、慣習です。そして多数派は労なくして何かをなしえる特権を持っていると説明するのが、出口真紀子さんの訳書です〔書籍紹介:ダイアン・J・グッドマン , 出口真紀子(監訳), 田辺希久子(訳), 真のダイバーシティを目指して 特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育, 上智大学出版 , 2017〕。例えば目が見えない学生は、あらかじめ教員に授業より前に資料データを送ってもらう交渉をして、大学か地域のボランティアセンターなどに点訳を依頼して、それを取りに行って初めて資料をもって授業を受けられます。しかしプリント資料を使う多数派は、特に何もしなくても授業に行きさえすれば、資料を受け取れます。これが多数派の「特権」です。   この話を知った時、私は痛みや歩行障害があるという点において、少数派なんだなと思いました。少数派であることは暮らしにくく、生きることが苦しくなることもあります。しかし私にも多数派の属性がありますし、そもそも少数派の中でも、本当に人それぞれ体験は違います。   関連してもう一つ思い浮かべるのがヨシタケシンスケさんの「みえるとかみえないとか」という絵本です〔参考書籍:ヨシタケシンスケ, 伊藤亜紗, みえるとかみえないとか, アリス館, 2018〕。これは、2つの目を持つ地球人が、3つ目星人の暮らす星へ出かけて行って「え?2つしか目がないの?かわいそうだね」と言われる話から始まります。この話から、私は、多数派か少数派かは相対的なもので、少数派に対する憐れみの視線は的外れであることを教わりました。この絵本は、それぞれ違うと認められたら良いねと、(ヨシタケさんのほっこりするイラストも手伝って)素直に思える一冊です。実際痛みは面白がれることばかりではないのですが、痛みがある少数派でいることで、気づくことはとてもたくさんあります。少数派が労なく社会参加できるようになるまでまだ時間がかかりそうですが、それでも多数派仕様の社会が少しずつ変わることを期待したいです。      ###5. 一人一人の「語り」を聞く 私は今、教育の仕事の傍ら、様々な当事者の方が自分について話す「語り」を聞く研究を行っています。多数派が作ってきたのは「言葉」も同じで、少数派は、多数派が作ってきた言葉の中に自分自身の経験を表す言葉を見つけにくいと言います。そして言葉が見つからないと、現象として命名されないのです。これは「解釈的不正義」〔参考書籍:三木那由他 , 言葉の展望台, 講談社, 2022〕と呼ばれ、例えば「セクシャルハラスメント」という言葉は、その言葉がないうちから一人一人が語ることで徐々に言語化され、「セクシャルハラスメント」という現象になっていきました。自分を表す言葉がこの社会にない人たちの「語り」は、確かに分かりやすい言葉では表されません。コミュニケーション方法も、多数派とは異なる場合があります。それでも、社会に存在する一人の人です。少数派が労なく社会参加できるようになることを目指して、一人一人のまだ現象として立ち上がってこない「語り」を聞く仕事を、これからも私なりに7割で続けていきたいと思っています。   ###Profile 瀬戸山陽子 せとやま・ようこ 東京医科大学教育IRセンター 准教授、看護学博士。専門分野は看護情報学で、キーワードはナラティブ、障害や病いの体験談、障害や病いをもつ医療者・医療系学生。当事者の語りを社会に活かすディペックス(DIPEx)の活動や、障害のある医療者や医療系学生を情報の視点から支援するダッシュ(DASH)の活動を行っている。