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ボランティアで学んだことを社会の中で生かしたい。 Vol.1

ボランティアで学んだことを
社会の中で生かしたい。 Vol.1

<対談>埼玉大学教育学部教授 沢崎俊之(さわざき・としゆき)先生×両育わーるど理事長 重光喬之(しげみつ・たかゆき)。
学校臨床心理学やカウンセリングの専門家である沢崎先生は、療育施設の宿泊訓練に15年以上参加されています。今回の対談では、「両育わーるど」の目指す未来について語り合いました。

 

両育が生まれたきっかけ

重光(以下、重):まずは私が「両育わーるど」をはじめたきっかけについてお話させてください。「両育」という言葉は、私たちが考えた造語です。知的・発達障害をもつ子供たちと彼らに関わる人たちは、触れ合うことでお互いに学び合えるんじゃないかと感じたことから、両方が育つという意味の名前をつけました。私は19歳の時にはじめて療育施設のボランティアをしたのですが、小学校6年生のダウン症の女の子の担当になり、本当に困りました。言葉は通じないし、すぐに泣かれてしまって。当時の私は身勝手で、他人のことも自分のことも好きではありませんでしたね。

 

沢崎先生(以下、沢):意外ですね。そこからスタートしているんですね。

 

141021_sawasaki (3)重:「福祉」や「ボランティア」という言葉も、当時は偽善だと思っていたんです。ところが、職員さんが本気で子供に向き合っているのを目の当たりにして、「こんなに本気で人と関わる場所は、ほかにはない」と感じたんです。それがボランティアを続けることになった最初の動機でした。
例えば、危険なことをする子供に注意する時、子供の身を案じる気持ち以外にも、「君がケガをすると私の責任が問われるからやめて」という気持ちがあったりしますよね。でも、それでは子供たちには伝わらないんです。そういう経験を何度も重ねて、「あ、これは自分のために言っている言葉だな」と気がついたんです。それからは、黙って隣で見守ったり、目と目を合わせて厳しく言ったり、小さな声で「危ないでしょ」とささやいてみたり、伝え方を工夫するようになりました。その結果、コミュニケーションのおもしろさを学びました。そして、子供たちが成長する喜びを感じたり、療育施設運営の厳しさを知るようになり、現在の活動につながっていきました。
最初は知的・発達障害をもつ子供たちのためにやっているつもりだったのですが、実際は僕自身がすごく成長させてもらっているんですよね。他人も自分も嫌いだった私が変わったのは、彼らのおかげなんです。他にもそう思う人が増えたら社会はもっと良くなるし、子供たちの育成環境の向上にもつながると思っています。この「りょういく」サイトでは、ボランティアさんの体験記事を掲載しています。中高年の営業パーソン、新社会人、大学生、インターン生など、いろんな方の目線で感じたことを伝えています。

 

両育を企業の社員研修に

沢:おもしろいですね。でも、どうしてレポートという形にしたのでしょうか。

 

重:実は施設が運営資金で苦労している姿を間近で見てきたので、最初はお金が必要だと思ったんです。そこで療育施設でのボランティアを企業の社員研修にできないかと考えました。療育施設でのボランティア体験は、社内のコミュニケーションにも生かせると思ったんです。まずは数人でテストをしたのですが、効果が見えづらいという問題が見えてきました。

 

沢:企業の経営者層に今の話を理解してもらえば、やってみたいというところもありそうですね。私は学校を中心に、子供たちや教師のコミュニケーションをお互いに豊かにするための研修会等をやっていますが、以前、企業の新人研修を担当したことがあるんです。IT企業の新人研修だったのですが、新入社員の多くは、チューターと呼ばれる20代後半の先輩社員とのコミュニーケーションに悩んでいました。年齢もそんなに離れていない、身近な存在でもある先輩に、自分の思っていることをうまく伝えられないそうです。そこでアサーショントレーニングという、自分も相手も大切にするコミュニケーションを学んでいただくことにしました。小グループをつくって、お互いに何かを頼んだり断ったりすることやってみて、フィードバックを行いました。その企業では今もこの研修を続けているそうなので、療育施設でのボランティアも研修としてアプローチできる可能性があると思いますよ。

 

重:それができたらすごくいいですよね。福祉現場には閉鎖的な雰囲気があるので、いろんな人が来るだけでも刺激になると思うんです。

 

沢:私たちの経験で言うと、「研修に行きなさい」と誰かに言われて来た方は難しかったですね。「なぜこんなことをさせられているんだろう」という気持ちが伝わってくるんです。でも、そんなふうに反発する人ほど問題意識があったりするので、めげずにやっていけば成果が出るんじゃないかと思います。

 

重:「両育わーるど」が目指していることは、なかなか伝わりにくい気がしています。そこで、「りょういく」サイトのレポートを通じて、少しずつ伝えたいと考えているんです。こういった形でいろいろ積み重ねていかないと、企業との恊働は難しいと感じています。

 

両育と学校教育

141021_sawasaki (2)沢:学校の先生の研修としてはどうですか。埼玉県に虐待を受けた児童が親元から離れて生活をする、情緒障害児短期治療施設の子供たちが学ぶ分教室があるんです。特別支援学級の分教室ですね。そこを見学したり、運動会を見せてもらったことがあるのですが、先生が子供たちとものすごく良い関わりをしているんですよ。虐待を受けた子たちが信頼できる大人を見つけて関わっていくのは本当に大変なことですが、先生が本当に一生懸命関わっているんです。

 

重:具体的にどんなふうに関わっているのですか。

 

沢:虐待を受けた子供の中には、協調性のない子や、大人への不信感が強くて試し行動の多い子がいます。その分教室も最初は手探りでしたが、少しずつ教育の力を使って子供たちを指導してきました。そこでは運動会も集団的な指導のひとつです。運動会を成功させることが目的ではなく、一人ひとりのやれることにチャレンジして、うまくできないこともあるけれど、それを認め合っていく。それを運動会の目標にして、練習を重ねていました。組み体操って、人と協力しないとできないじゃないですか。それまでまったく協調性のなかった子が、土台になって必死でがんばっていたりするんです。そういう姿から学ぶことがたくさんあるんですよね。

 

重:その教室の先生は、どんなことに苦労されているのでしょうか。

 

沢:いろいろな問題があります。ひとつは虐待による愛着障害なので、対応がとても難しいんです。その教室の教頭先生は、以前は高校の先生だったのですが、ここではじめて特別支援学級の教頭先生になりました。最初はどうしていいかとまどったようですが、今ではこれこそが教育の原点だと感じていらっしゃるようです。

 

重:私がお手伝いしている療育施設の所長さんも、障害児の現場は教育の原点だとおっしゃっていましたが、どうしてそう感じるのだと思いますか。

 

沢:やはり、一人ひとりを大事にしているからじゃないでしょうか。虐待を受けていた子供は、教育を受けていない期間があったりします。いろんな学年の子がいるし、子供ごとの学力差も大きいので、一斉授業が難しいんです。そこで、空き時間も一人ひとりに合わせた授業を行ったりしています。そういう苦労をいとわずやっている先生が多いんです。

 

重:そういった子供たちと関わったことのなかった先生が、試行錯誤する中で、なにか良い学びがある、ということでしょうか。

 

沢:そうですね。うまくいくにはいろんな条件があるのだと思いますが、先生たちがストレスで疲れきってしまわないよう、何かとっかかりを見つけてやっていこうという気持ちになれば、うまく回るのだと思います。

 

重:福祉現場も似たような感じです。自閉的なお子さんは人付き合いが難しいので、自分の世界に閉じこもっていく傾向があります。放っておけばずっと一人で過ごすようになりますが、ご縁のある施設ではそういったお子さんに積極的に関わっているんです。

 

沢:あの療育施設では心と心の交流を図ったり、情緒的に豊かになるようなかかわりをしていますよね。とても素晴らしい取り組みだと感じています。

 

 

text by 界外亜由美
独立行政法人福祉医療機構 社会福祉振興助成事業