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誰にだって生きづらさという名の障がいはある。いろんな人が一緒に働いて行ける場を作りたい。

誰にだって生きづらさという名の障がいはある
いろんな人が一緒に働いて行ける場を作りたい

 

今回取材させていただく中村さんは、NPO法人くまもと障がい者就労支援ネットワークの代表として、「障がいがあっても活き活き働き自立できる社会」をビジョンに、障がい者就労支援事業所「らぷらんどカフェ」の運営をしています。毎週のように熊本と東京を往復し、精力的に活動されています。エネルギーに満ち溢れた印象でも、初対面の私にフランクに話をしてくださいました。

この力強さと明るさはどこから来るのかが気になり、中村さんの魅力に引き込まれながらお話を伺いました。インタビュワーとしてりょういくレポートを書いている私は、大学に通いながら障害福祉現場でアルバイトもしています。

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自分の身近な人だけを守っていては効果がない

中村さんは、どういった経緯で福祉の世界に入り、福祉作業所を開くことになったのですか。

 

熊本にいる幼馴染の友人が双極性障害(躁うつ病)という、気分が高揚する「躁(そう)」状態と、意欲が低下し憂うつになる「うつ」状態という正反対の状態を繰り返す病で、寝たきりになっていました。その友人が少し元気になって既存のA型作業所、知的障害の人がメインで働いている事業所に入ったんです。朝、彼女は自宅で洗濯物を干して、事業所に出勤したときに、支援員に洗濯物の畳み方を教わるみたいなところで。その友人は普通に大学出ているし、私よりも優秀で学校でも成績が一番という人だったので、それではやりがいを感じることができずに、泣いて帰ってくるわけですよ。それを知って、その友人が思いっきり働ける職場を作ろうってことで。その友人は、料理が得意な子だったで。それで、健康に留意した弁当屋をやろうってことになって始めました。その9ヵ月後に障害者就労支援A型事業の指定を取りました。

 

 

でも、なぜ友人のためにわざわざ、作業所を立てようと思ったんですか。

 

だって普通はやらないですよね。わたしの息子が、内臓に先天的な障害があって、学校では「できない生徒」とされていました。わたしは、「学校のやり方というか仕組みがかわれば息子だってできるようになるのではないか?」という思いを抱えていました。だから、既存の支援では「働けない障害者」であっても、友人も支援の仕組みが整えば、働くことが可能ではないかと思いました。
息子は朝起きて、学校に行くだけでもう精一杯やっているんですよ。友人も同じです。
そういった日々が続いたあと、自分の家族だけ守っていてもしょうがない、周りの人にも目を向けないとって、ふと思って。だからこの人たち(生きづらさを抱えた人々)の働ける作業所を作ろうって。もうね、やらないなら自分はもう先生たちや福祉、社会に対して何も文句は言えないって。

 

息子さんは生まれたときから先天的な障害を持ち2度の手術を終えNICUに入院していたそうです。面会に行くと目は開けなくても全身で、そこから息子喜びを表現してくれて生命力を感じたそうです。母親の面会を喜んでくれる赤ちゃんに応えようと思い、退院させて家での療育を始めたそうです。それから、障害のことでまわりの無理解と無関心、偏見を目の当たりにする日々を送ったそうです。そういった社会を変えたいと思い起業した中村さん。こういった辛い思いをした経験を、自分が今やるしかないという前向きな方向に持って行った中村さんを私は強い人だなと感じました。

 

 

人生というジェットコースターを前のめりの姿勢で生きていく

中村さんの力強さがお話しを伺っていく中で、中村さんの生き方が伝わってきました。実際に福祉の世界に入り、作業所をやっていく中で、ご自身の変化はありましたか。

 

2016_nakamura (1)攻めの姿勢になりました。ジェットコースターって恐いと思って後ろに体重かけちゃうでしょ。それを前のめりにするようになると恐くなくなるのと同じように、生き方も前のめりになったの。結局ね、いろんな人見てるとね、覚悟決めないといけないときってくるから。逃げられないんだよ。昔はね、周りから言われる“タフだね”って言葉はすごい嫌いで、わたしだって平気じゃないと思っていたけど、今では自分はタフだなと思います。大変さを引き受けて、やってやろうって思います。

 

 

前のめりになり攻めの姿勢を取ろうと決めた中村さんを、まだ、人生を大きく揺るがす経験をしたことのない私はかっこよい、生き方が素敵であると素直に感じ、自分も何か大きな壁に当たったときに攻めの姿勢でいけたらと考えました。「今の自分があるのは息子のおかげです」と言っていたところも印象的でした。

 

 

自分というひとつのブランドで生きていく

私は大学で社会学をやっており、様々な視点から社会を見ていこうと思っているのですが、現在、中村さんは社会に対してどういった思いをお持ちですか。

 

日本人って建て前ばっかりでしょ。本音がなかなか見えない。自分の本当の考えがどれかわからなくなってしまうでしょ。やっぱり、自分っていう一つのブランドでやっていかないとさ。日本は、大きなチームでやることが多いから、「公的な人」になってしまう。今の人たちは自分がない。本音はがわからなくなっている。学校の先生たちも同じで、学校のやり方に従わないといけない。まずは人間としての自分で、その上から親であったり、教師であったりするわけで、その一人のただのなんでもない自分を意識しておかないと大切なもの、人間性とか尊厳とかを後回しにしてしまうと思います。

 

社会に出る際に、「建て前をしっかり覚えなさい」と言われていた私にとって、建て前よりも自分があることが大事という話は心強く、自分は一つのブランドである」という生き方は今の中村さんの原動力の一つになっているのではと考えました。

 

 

障がいがある人もそうでない人も働ける作業所を作りたい

これまで、中村さんが作業所を始めたきっかけを聞いていきましたが、これから先の福祉についてはどのようにお考えでしょうか。

 

将来的には、作業所とか放課後デイが必要のない社会を望みます、はっきりいっちゃうと。それはなんでかっていうと、福祉施設に障がい者たちを囲う、老人施設に高齢者を囲い込むということではなく、もっと多様性のある、いろんな人が一緒に生きられる場所に社会がなればいいなと。スタッフたちとも、自分が年取ってから働けるような作業所にもしたいって話もしてるもんね。

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作業所がなくなればいいと語りながらも現在、作業所を作ろうとしていますよね。中村さんは、今の社会がどう障害をとらえていくべきだとお考えですか。

 

障がいは社会が作ったものだし、みんなにあると思います。例えば、地図が読めないってというのも障がいかな。みんなあるでしょ。そういう苦手なもの。お金の勘定ができないとか、名前憶えられないとかそういうの。障がいが障がいじゃなくなればさ。生物学的にも多様性がない世界は衰退していくのと同じように、社会も多様性がないと、衰退していくんだと思う。

 

障害者事業所を運営しながら、そういった福祉が必要なくなる社会の実現を願う中村さんの作る作業所は、将来的に様々な人が共に生きる場になり、外への広がりのあるものになっていくのではというイメージが浮かびました。

 

 

16/2/7

text by 畠山千夏