エピソード

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30代女性・家族と同居 業務災害にて発症 治療歴9年

診断までに2年。EBPは4回行いました。発症当時お付き合いしていた人には嘘つき呼ばわりされフラれ、その後も数人と付き合ったが、予定が組めない(体調で)事、常に不調を訴えたりすることで去っていく人ばかりでした。

周囲からも、いついつ会おう、遊ぼう等、先の予定を組むことが全くできなくなりました。ドタキャンしてしまうことが多々あり、自然と疎遠になっていったりもした。認知度が低いがゆえに理解を得られず、職場でも厄介者扱いだった。家族にも伝わらず、気のせい、考えすぎ、など最初は本当に辛かった。

一番辛かった時は保てず(今でも不調が続くと絶望感が襲ってくる)死ぬ力はないので、常に消えたいと思っていた。少し動けるようになった時に衝動的にODをし、冬の海に落ちた。漁港だったこともあり偶然見かけた漁師にタモで救われて「死ぬで!ねーちゃん!足元きーつけな!」と大笑いしながら言われた事が何故か胸に刺さり、それ以降、少しずつ自分に向きあえ始めた気がする。

主人と出会った時は、付き合う前に全てを話した。やめておいた方が良いという意味で。主人は仕事柄、色々な人と接するし、その病気は前にテレビで見たことあると言ってくれ、初めて理解を示してくれた。
だが、それもいつまで続くかわからないと疑心暗鬼になっており、私自身が信じることが出来なくなっていた。現在は夫と二人で生活しています。

お母様より
初めてのEBP後から、blogを書き、情報を発信していたようでした。多くのテレビ局、ラジオ局へメールを送り、脳脊髄液減少症を取り上げて欲しい等といった訴えをしていたようです。
当時、娘は『第2の私はつくらんでいい』とよく言っていました。親の私にも分からないほど辛い思いをしてきた2年間。『何か意味があるんかもしれん』と自分自身を奮いたたせ、寝たきりでもできる携帯電話を使って世に訴えていた様に思います。
テレビ局の密着取材を受けた際も『説得力があるのなら』と実名、顔出しを選択し、その後はHP等からの依頼で数回公演もしていました。とても理不尽な形での発症で、本人は今でももしかしたら苦しい胸のうちを抱えているかと思いますが、それを押し殺し、一人でも多くの人にこの脳脊髄液減少症を知ってもらいたい、早期発見、早期治療へ繋がるようにと使命感を持ったように奮起しているように見受けられます。そうすることで自分自身を保っているようにも見えます。

発症要因:業務災害にて発症(右仙腸関節離解による)
治療歴:EBP4回
服用中:(現在妊娠中のため)ユベラ、メチコバール、五苓散、ソリタ顆粒
社会保障利用:診断前労災保険、疑いが出た途端労災打ちきり、その後から現在まで社会保障の利用なし
生計・仕事・在学:無職(専業主婦)