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30代男性・独身・一人暮らし 突発性で発症 治療歴13年(更新)

頸部を中心に体中がただただ痛み、終わりの見えない日々。周囲へは、「親知らずを抜いた後の痛みが、脊髄にそって複数個所で24時間365日際限なく続く」「盲腸が破裂寸前まで炎症を起こし、手術が通常の倍掛かるまで、半年我慢できるぐらい痛む」と実体験にもとづき表現しています。
いまだに「痛みを分かってほしい」という気持ちは残っていますが、「お互いに他者のことを真に理解するのは難しいな」と納得しようとしています。

進めたいことが痛みと疲労による思考と体力の低下でなかなかできず、「できないと思われたくない」「サボり・怠けだと思われたくない」と他者の目を気にする日々でした。数年間、円形脱毛症で髪が半分なくなりました。ランドセンを服用すると2か月で元通りに。正直、痛みに比べればどうでもいいことです。

楽しい会話や美味しく食事をしていても、「楽しい」「美味しい」の前に「痛い」があり、誰かといても頭の中が痛みでいっぱいで、皆と笑っている時間もどこか遠い出来事のようです。

鬱状態になったとき、何でも自分でやろうとすることを諦めました。人に頼る、完璧を求めない、自分のペースで生きようと。自分の人生なのだから。仕事仲間に「痛みに耐えられないから、仕事を辞めるか迷っている」と打ち明けたとき、「いいんじゃないの?」と言ってくれた時は楽になれた気がします。

時間経過とともに薬が効かなくなり、期待していた治療もなかなか効果が実感できません。そんな訳で、大丈夫そうに装い続けることが破綻しました。それまでも破壊と再生を繰り返し、それなりの経験は積んできたのですがなかなかなれることもできず。。。

長年、闘病を続けていると年の功的なスキルが身につきます。
・これ以上無理をすると取り返しがつかないダメージを負うことが事前に分かる
・大事な予定に向けて調子を整え、その他の用事を諦める
・人が離れても気にならなくなる
・物欲や食欲などが穏やかになる≒興味がなくなった
基本的に期待しないというのが根底にありますが、諦めたくはありません。
十数年の闘病と多様な治療や投薬、膨大な時間とお金を使ってきたので、今更何も期待をしないのですが、新しい治療法などで周囲が急に期待をし出すとそのギャップを受け入れるのは、ハードルが高いです。新しいことや期待することに対して、ダメになることを先に恐れている感じです。

あとは、痛みで心ここにあらずであっても、玄関のドアを開けたら「痛くなさそうな自分」を自然と演じられるスキルが身に付きました。外出前に体調を整え、外出後はその倍休むことになりますが。。。良い悪いはなく、ただ体が適応したのでしょう。

この病気の根本的な治療はまだ見つかっていないので、現状、改善の見込みは分かりません。あえて治らないという前提で、“痛みが常にある”“色々できなくても自分は自分”と受け入れれば、少しは気楽な日々かと考え、その練習をしています。あきらめる、手放す、お願いしてみる…。

前回の投稿から3年が経過し、相変わらずの痛みと活動量の低下で、1週間のほとんどを寝たきりのこともままあり、心身ともに疲弊してきました。当初、効果のあった医療用麻薬は、効果に対して、徐々に効果が薄れ、症状とは違った思考力の低下や貼替や諸々の管理、その他副作用とを比較した結果、半年掛けて減薬しながらやめました。

定期的に通院をし、症状が改善しないことからMRIミエログラフィーを受けたところ、頸部から何らかの液体の漏れが確認されました。その後入院して、造影剤を入れてCTミエロとMRIミエでの詳細検査をしたところ、その時点では髄液の漏れは確認できず、4回目のブラットパッチではなく、生食パッチを60ml程度しました。一時的に、効果があったようで、肩と背中の痛みは軽減しました。頸部と腰の痛みはあまり変わらずで、近々次の手段を医師と話し合います。

・4回目のブラッドパッチをしても変わらないかもしれない(3度目のBPでは、3ヶ月ほど痛みや諸症状が改善)
・髄液漏れが確認できずBPをしないと治療法が手さぐりになってしまう
入院前、検査時にあまり考えないようにしてきましたが、心の奥底ではどちらに転んでもモヤモヤするだろうなと。

ここ半年痛みやストレスから久しぶりに円形脱毛症が始まり、頸部から髪は抜けはじめました。目に見える唯一の症状が、禿げなのが面白いような、情けないようなで、もっと見て分かりやすい症状ならなと思ってしまいます。

痛みがあまりに強い時は、他の部位に自主的に痛みを作って分散させたり、安いモノに当たったりし、前向きとはいえない解消法をしています。そんな私ですが、他者との関りや、仕事になってしまいますがたまの外出で、一人で部屋に閉じこもっているよりはマシだなと都度実感します。可能な範囲で近所でもいいから出掛けるように心掛けています。

本当は、仕事以外で楽しいことやのんびりしてみたいのですが、してみたいことが浮かびません。4年前の最後のブラットパッチから振り返ると、今は周囲に友人はおらず、すべて仕事仲間です。友人が離れて行ったのではなく、私に友人と関わる余力がないからです。仕事仲間と言っても半分家族のような存在になっており、彼らとのコミュニケーションが、生きる支えになっています。こう書くと重いですが、そんな彼らと、ほどほどの距離感で付き合っていけたらと思います。

たまたま、病気になってしまい
たまたま、治りにくく
社会的な状況も厳しいけれど
発症したのは仕方のないことで
できること、できないことを
判断しながら歩んでいけたらいいなと

【属性情報】
発症原因:不明・突発性
治療歴:闘病歴13年、BP3回・生食パッチ1回、抗てんかん薬服用
生計・仕事:起業し、体調と相談しながら仕事を進め、シンプルな生活を心掛ける
社会保障等の利用:なし

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ずっと苦しんできた痛み。他人に説明するときには、親知らずを抜いた後の痛みが複数個所で24時間365日際限なく続いているという表現を使っています。感覚的に少し伝わるかなあという印象。自分には「分かってほしい」という気持ちが少なからず残っています。

楽しい話をしていても、美味しいものを食べていても、「楽しい」「美味しい」の前にまず「痛い」がくる。誰かといても痛みで頭の中がいっぱいでなかなか一緒に楽しめず、みんなと笑っている時間もどこか遠い出来事のようでした。痛みのストレスで円形脱毛症にもなりました。

「できないと思われたくない」「サボり・怠けだと思われたくない」と他人に自分の弱いところを見せないように常に気を張っていました。痛みで心ここにあらずであっても、いつも「痛くない自分」を演じていました。薬が効かない、期待していた治療がうまくいかない。そんな背景もあって演技が破綻したのが一昨年でした。

仕事のプレッシャーと痛みによるストレスから気力の限界を迎え、半ば鬱状態になったとき、何でも自分でやろうとすることを諦めました。人に頼ること、完璧を求めすぎないこと、自分のペースで生きることを覚えました。仕事仲間に「痛みに耐えられないから、仕事を辞めるか迷っている」と本音を打ち明けたとき、「いいんじゃないの?」と言ってくれたことが一番嬉しかったかもしれません。

この病気の完璧な治療法は見つかっていないので、今後自分の症状がどうなるかは分からない。であれば、治らないという前提で今やりたいことや小さな目標を持ちながら生きることができれば、少しは気が楽になるのかなと思っています。

治療歴:BP3回
服用中:デュロテップ、ランドセン