ビジネスのキャリアを積み上げるだけでは、分からないことがあると知りました。
ビジネスのキャリアを積み上げるだけでは、分からないことがあると知りました。
◆わたしのこと
都内の企業に勤務する40台半ばの会社員の男性です。仕事は営業職で20数年のキャリアです。‘ふみ月の会’さんのある調布市に隣接する三鷹市で妻と暮らしています。福祉現場でのボランティアは‘ふみ月の会’さんが初めてです。
◆ボランティアとの出会い
‘ふみ月の会’さんボランティアとの出会いは、長年参加している知人の紹介です。彼から学びと気づきがあるとの話を聞いて興味が湧いて参加するようになりました。初めて施設に行ったときは、少し緊張したことを覚えています。
◆ボランティアの場から
‘ふみ月の会’さんのボランティアを参加するようになりかれこれ2年間位で、週末実施する集団活動に十数回参加させてもらっています。集団活動とは児童が一般社会に近い状態で普通に活動できることを目標としています。私のような社会人とパートーナーとなり、他の多くのメンバーと一緒に行動するというのも、児童にとってはとてもハードルの高いことだと知りました。集団活動では、多くのことを児童と経験しました。おつかい、料理、お食事会、体操、ランニング、ハイキング、ボーリング、宿泊訓練、販売、図工、陶芸、科学館見学等々の活動です。‘ふみ月の会’さんから指名されて担当するメンバーの子と一緒に活動を実施しています。
◆児童とのふれあいを通じて
はじめは児童とどのように接したらよいかわからず苦慮しました。日常的な普通の会話のキャッチボールができず、私自身、身動きがとれず、固まってしまったり、ぎこちなさがあったと記憶しています。
当時、私の様子をみていたボランティア経験の長い知人からは、私は児童に言葉をかけているようで、それは自分自身に働きかけている言葉のようだといわれました。その時、はっとしました。自分で自分を鼓舞し、納得させていたのでしょうね。
また別の機会では、緊張や、突然街角のディスプレイへのこだわりの動きをはじめたり、大声をだしたり、あばれてみたり、自傷をしてしまう子もいました。その時には驚いたり、対応に苦慮したり、自分の無力感を覚えるような状況もありました。
◆児童とボランティアが気づかせてくれた両育
コミュニケーションは、言葉だけで成立するものではないということに気づいたと思います。児童に寄り添うことで成立するノンバーバルコミュニケーションの実感がありました。それは身ぶり、手ぶりを使うというようなこととも違う、傍に居るだけで意味をなすノンバーバルコミュニケーションです。このようなことは普段は気づくことができないもの。大袈裟ですが私の新たな存在学の発見でもありました。人が‘ある’ということから相互に通じあえるように‘なる’ために、傍に居る、寄り添うことでもそれが成立するんだと気づきました。
また、ボランティアは、サポートをするということで、一方的に与えるものという先入観がありましたが、実は与えられることがたくさんあります。これが両育です。コンビニ弁当の容器でごはんが食べられなかった子が、頑張って食べられるようになった時。いつも落着きのない子が、人ごみの中で、一生懸命集中しようとする時。彼らの姿から目標を持つことや努力することは、その内容よりも姿勢が大切なのだと学びました。
児童と接していると心が‘ぽっ’とあたたかくなることがあります。物を頼まれてたくさんの荷物を抱えて帰ってきた子が、その場に荷物を投げ出して急に倒れこんでしまったことがありました。何故かわからなかったのですが、職員の方に聞くと、「荷物が重くて辛かったけど、うまく表現ができず我慢してたんじゃないかな。我慢が限界になって、倒れてしまったのだと思う」ということでした。その姿をみると、私たちが嫌なことを断ったり、避けるといった‘私たちの普通’とは少し違う真っ直ぐな純粋さに触れたような感覚でした。また、その姿を療育者の先生が厳しい口調で、涙をうかべ「つらい事は、つらいという事が大切なのよ」と話していました。児童の自立を真剣に目指している先生の言葉に触れ療育の大切さと厳しさを感じ、私の胸にグサリとささりました。
今日の調布の福祉祭りで一緒だったA君は、何度か会ったことがある顔見知りの子ですが、犬が嫌いな彼も今日の盲導犬との触れあいでは、苦しそうではありましたが、頑張って盲導犬に接していました。彼の成長を実感できる姿でした。
◆ボランティア経験のその先で
私は長年ビジネスシーンで生きてきており、仕事分野ではキャリアを積んできています。でも、一方では、専門分野で生きてきたが故に、ものの見方に片寄りがあるように感じていました。そんな私にとって児童との活動は、視点の変化を与えてくれました。例えば、電車を利用して、児童とお出かけする時に感じたことがあります。電車に乗ると、いつもと違う状況で緊張してしまい、少し落ち着かなくなってしまう子もいます。そうすると、他の乗客の方々から、どうしたんだろうと少し奇異な感じでみられように思います。この時の私は他を意識しながらも、実は自分の意識を他人へ投影していたのだと思います。そして当初は周りを意識していた私も、いまは気にならなくなりました。改めて考えると視点の変化というか、かわるがわるという事で、一方的な見方に囚われていた自分自身を振り返り、そこから自由になった自分に気づきました。以上はわかりやすい例ですが、ボランティアは自分の世界には無い異質なものに触れることで、自らの視点の偏りを知る良い機会になると思います。
そしてこれはダイバーシティという多様性の気づきでもありますが、更には、見方によって物事は変わるということでもあります。うわべの見方は変えることができるし、奥にある本質をとらえることが大切だと考える端緒になったと思います。
これからもボランティアを通じて、児童の成長の機会をサポートしながら、両育も実感していければと思います。
2013/12/7 第35回調布市福祉まつりボランティア
2014/1/25 Text:重光喬之