両育に正解はない!
両育に正解はない!
普段は個人事業主として、税理士のお仕事をされている池田さん。
今回、NPO法人ふみ月の会主催の「調理実習と地域交流会への参加」でボランティア初体験をした。福祉関係には興味もなければ、もちろん関わったこともなかったという池田さん。
約2ヶ月前にふみ月の会にて同じようにボランティアを初体験し、インタビューを受けた私(早稲田大学4年・清岡)が、今回は同じような立場から池田さんにボランティアについてお話をお伺いした。
当日はどんなことをやったのですか?
高校生の男の子とペアになり、午前中は調理実習をして昼食のサンドイッチとデザートを作りました。包丁を使う、イチゴのへたを取るなど危険が伴ったり、細かな作業がありました。午後は、地域の社会福祉法人主催のイベントに参加しました。地域住民や他の施設利用者と一緒に作品作りをしました。これまた細かく根気のいる作業でした。
今回のインタビューの中で、最も印象的であり、一貫していたことが、池田さんの言う「引き算のサービス」であった。
「活動に参加するにあたり、私がまず意識したことは、「受け身」ということです基本的に自分からは行動しないように心がけました。自分が何か行動することで、ふみ月の会が意図をもってやろうとしていることや、それに伴う子供たちの成長を後退させてしまうかもしれません。それは絶対にしたくなかったし、してはいけないと思いました。
1番大事なことは、子供たちのインプットであり、成長だと思ったんです。それを妨げるリスクはできる限り排除すべきだと考えました。その中で、職員や他のボランティアさんの関わり方を見ながら真似ていったんです。そうやって自分ができる行動とすべき行動を増やしていきました。私の中では、これを引き算のサービスと言ってます。」
先述のように、私は2ヶ月前に同じようにふみ月の会にボランティアとして参加しているのだが、子供たちとの接し方が池田さんとは真逆であった。私が意識したのは「質より量」、とにかく子供たちとの距離を縮め、信頼してもらうためにあの手この手を尽くす、いわば「足し算のサービス」とでも言うべきものであった(詳細は以前のインタビュー記事を参照)。そのため、正直池田さんの「引き算のサービス」に違和感を覚えた私は思い切って聞いてみた。
「やっぱり実際にやってみないとわからない部分があるし、試行錯誤する中で、むしろその懸命な姿が信頼に繋がったりもするし、なにより待っているだけで反応がないと僕自身はちょっとさみしいかなって、そう思ってしまいます・・・。」
「そうだったんですね(笑)。それはそれでいいと思います。素晴らしいことです。きっと普段から清岡さんはそうやって人と関係を築いているんだと思います。
ただ、僕は性格的にこういう人間。職業病と言ってもいいかもしれません。税理士って、お客さんのリスクを管理する仕事でもありますから、やっぱりリスクを避けることを最初に考えちゃうんです。僕がおくびょうなのもあると思いますけど。
あとは、子供たちに何かを期待するようなことはしませんでした。反応は別になくてもいいと思ってました。実際ちゃんと交わした会話は、食べる前に「いいですか」って確認するやつくらいです(笑)。
だけど失敗をしないように、まわりの人がやったことしかやらないので、素人が関わりを持つことによる化学反応みたいなものを期待している人がいるとしたら、つまらないと感じてしまう人は多いんじゃないかな。」
(作者注)ふみ月の会では食事の際に、子供やスタッフ問わず、皆がお互いにこれから食べるものを「食べていいですか?」とことわって、相手が「いいですよ」と言ってくれてから食事をしている。
池田さんはどうだったんですか?
「僕は楽しかったですよ!1番楽しかったのは、因果関係がわかったとき。これもまた職業病ですね(笑)。僕は結果に対して、その原因が分からないとモヤモヤするんです。ボランティア中、担当の子が道に落ちている木や葉っぱを蹴って道の端に寄せている場面があって、僕は褒めるべきだと思ったんです。綺麗好きだと思って。でもスタッフの人は違った。注意したんです。あとで聞いたら、綺麗過ぎだったり、神経質な行為は、指摘するんだそうです。なぜなら、例えば調理実習で人のものを勝手にいじって危ない目に合わせてしまったり、自分の欲求だけを満たすために、全体の事を考えられない人間に育ってしまうからなんだそうです。
それを聞いて、なるほどなって。この因果関係に最初に気付いた人はすごいなと思いました。
あとは、担当の子ととくに会話をしたわけではないけれど、外に出かける際に僕が来るのを待っていてくれたのはうれしかったですね。担当として認識してくれてるんだなって。子供たちは本当にかわいかった。みんなすごく素直で思ったことをストレートに表現するから。リアルで、人間味があって、微笑ましかったです。」
そんな池田さんも、最初は強い恐怖心があったと言う。
「正直怖かったですね(笑)。お世話するのは子供だと思っていたのに、実際に会ってみたらもう一人前の体格のいい男性なんですもん。一緒にお皿を洗っていて途中でやめようとした時に、「まだお皿残ってるよ」と普通に注意するけれど、「うるさい」ってなってぶたれたらどうしようとか。包丁を持って調理しているとき等も、ちょっと怖かったです。
けどこうやって、子供たちも含め、ふみ月の会のスタッフさんとか関係者をよく見たうえで自分の行動を決定していくことは、僕の中では対象を守るために大切な事なんです。」
先に、自分のことをおくびょうと言っていた池田さんだが、そんなことはまったくないと思う。最後に池田さんはご自身がなられたい人物像として、次のように話してくれた。
「人の悲しみに寄り添える人になりたい。幸せの形って、ある程度一定だと思うんです。結婚していて、必要なお金があって、大切な友達がいてって。けど、不幸の形っていろいろある。僕はこの不幸を少なくしていけるような人になりたいですね。」
きっと、今回のボランティアにおける池田さんの関わりは、偶然そうなったわけではなく、池田さんの「生き方」や「あり方」からきていたものであったのだと思う。私自身も約2ヶ月前に同じように何も知らないところから子供たちを目の前にし、戸惑いながらも最善を尽くした。私にとって当たり前であったことは池田さんにとっては当たり前ではなかったし、逆もまた然りであった。私にも大切にしている価値観があり、きっとその価値観が、子供たちと試行錯誤しながら接していく中で、「あり方」として体現されていたのだと思う。
今回の池田さんへのインタビューを通して強く感じたことは、支援の仕方にもいろいろあること。知っておくべきことや、多少の「やり方」はあれど、子供たちのあり方にも正解がないように、支援の「あり方」にもきっと正解はないのであろう。もっと言えば人間は皆、「あるべき姿」などないのかもしれない。一人一人違った存在であるが、違いは違いであって、間違いではない。きっとみんな正しいのだ。
両育という今までまったくなじみのないフィールドで、同じように子供たちと試行錯誤しながら向き合った池田さんとの対話を通じて、私は人生における深い気づきを得たのであった。
2014/3/8 調理実習・地域交流会への参加
Text:清岡大智