ギラン・バレー症候群
[ ぎらんばれーしょうこうぐん ]この疾患になる確率、日本で約86957人にひとり。
細菌感染などがきっかけで発症し、短期間で急速に筋力が低下して運動麻痺が起こる自己免疫疾患。次第に回復するケースが多いが、後遺症が残る患者もいる。発症中は体力の衰えが激しく、外出頻度や労働時間を適切に自己管理する必要がある。
疾患概要・数値の出典元:難病情報センター「ギラン・バレー症候群」、厚生労働省検疫所FORTH「ギラン・バレー症候群について」[2018年3月1日参照]
MY STORY
2011年にギラン・バレー症候群を発症したIさん。
普段は団体職員として障害者スポーツに関わるお仕事をしているそう。
撮影の前日も旅行に行っていたというアクティブな女性です。
そんなIさんが考える、ユニバーサルな社会とは?
-はじめて発症したのはいつですか?
2011年3月11日。ちょうど震災の日に発症しました。地震でエレベーターが閉まり、階段を何度ものぼり降りしていた際に、急に調子が悪くなったんです。翌日には布団から起き上がれなくなりました。震災の日に発症したため、精神的な病気を疑われたりもして、正式に疾患名がわかったのは2ヶ月くらい経ってからでした。その間は自分の身体に何が起きているのかわからず、不安ですごく辛かったです。
-どんなときが大変ですか?ふだんの生活で気をつけていることは?
わずかにしか回復しない身体と、すぐ健常時の感覚に戻ってしまう頭の認識をすり合わせることが大変です。思うように体を動かせないと落ち込んでしまうので、今できることをきちんと自覚した上で欲張らずに行動していくことを心がけています。体力が人より少なく回復に時間がかかるので、日々見通しを立て、体力の配分を考えながら行動しています。
-ユニバーサルな社会にする上で必要なこととは?
いろんな人がいることを受け入れる心のゆとりだと思います。日本では本来多様である人を枠にはめ、違うことを好ましくないことだと思う傾向があります。その点、海外は多様性に柔軟で、日本で「迷惑かけてごめんなさい」という意識で育ってきた障害者が、海外に行って障害者も社会の構成員としてきちんと位置づけられているのを見て「いていいんだ」と自信をつけたという話をよく耳にします。日本もさまざまな人が共に支え合う社会になり、人と違う見方や切り口を提示して社会にインスピレーションを与えることができる障害者の強みが、上手く活かされるようになったらいいなと思います。