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障害児との出会いをきっかけに、りょういく サイトを立ち上げました。[Vol.2]

障害をもつ子ども達と、
たくさんの時間を過ごした。
その経験がなければ、
社会起業なんて考えもしなかったと思う。 Vol.2

重光喬之(NPO法人両育わーるど理事長)

前回のレポート:障害児との出会いをきっかけに、りょういく サイトを立ち上げました。vol.1

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 障害をもつ子ども達が放課後に過ごす、療育施設。そこには、ボランティアとして関わる人たちがいる。ボランティアと聞くと、なにかをしてあげることだと思いがちだ。でも実際は、支援する側も人間として学び、大きく成長することが多い。「りょういくレポート」では、ボランティアを通して成長する人々の姿にスポットを当てて紹介する。

 第一回目は、NPO法人両育わーるどの代表、重光喬之。この「りょういく」サイトを立ち上げた彼も、ボランティア通して変化した人間のひとりだ。大学卒業後、プロのミュージシャンを目指すが挫折。就職し、ようやく仕事に慣れた頃、待ち受けていたのは脳脊髄液減少症(のうせきずいえきげんしょうしょう)という病だった。
 その間、ずっと重光の人生とともにあった療育施設でのボランティアを通して、社会起業へと向かった半生について話を聞いた。

社員を幸せにする。そんな会社をつくろうと思った。

仕事を辞め、療養のため寝てばかりの毎日。痛みが全快することはないが、少しずつ落ち着きはじめた。「このままではいけない」。そう思いはじめた頃、ボランティアのことを思い出した。仕事が忙しくなりすっかり足が遠のいていたが、また施設に顔を出すようになる。
「30歳の時、起業しようと思ったんです。病気が悪化して仕事を辞めることになった頃、リーマン・ショックで会社の業績が下がり、会社のために一生懸命頑張ってきた社員がたくさんリストラされていくのを目にして。そんな経験から、社員が幸せになれる会社があったらいいなと思い、社会起業を決めたんです。病気治療で長く休んでいたので、再就職は厳しいだろうという思いもありましたね」。
社会起業や政策提言を学ぶため、人材育成を手がけるNPO法人[政策学校]一新塾へ入塾。最初は福祉ではなく、前職の経験を活かし環境系のビジネスを始めるつもりで事業計画を練っていた。ところが塾長から「それは誰にでもできること。重光さんならではの道を見つけてください」と言われてしまう。
「自分ならではのことって、一体なんだろう。とことん自分と向き合い続けました。その結果、障害をもつ子ども達との出会いがなければ、今の自分は存在しないと気がついた。ボランティアを通して、障害福祉分野を取り巻く環境が様々な問題を抱えていることも知ってました。でも、実際に行動する勇気がなかった。大変なのは目に見えているし、時間的にも金銭的にも自己犠牲を強いられる気がして。そんな不安を乗り越えられたのは、塾長や一新塾のプロジェクトメンバーの存在が大きかったと思います」。

 

制度移行による、療育施設存続の危機に立ち向かう。

2011年、『両育わーるど』の前身となる、『療育は両育プロジェクト』を立ち上げた。
「一新塾の同期やボランティア仲間、高校時代の友人も参加してくれました。数年ぶりに友人と再会した時、『重光くん、変わったね。人の話を聞けるようになったんだ』と、私の変化にびっくりしてましたね。昔はみんなで遊んでいても、勝手に一人で帰っちゃったりして。何ごとも本気でやらない人間が嫌いだったのかもしれません。バンドでも、真剣にやらないメンバーにすぐ腹を立てていました。相手と向き合って、じっくり話を聞くようになったのは、間違いなく子ども達との出会いがあったからだと思う」。
プロジェクト1年目は、子どもとの関わりを企業向けの社員研修にしようとしたり、幼児教育とのコラボレーションイベントを構想するなど、様々なことにチャレンジ。2年目に入ると、転機が訪れた。
「2012年4月より、ボランティア先の施設を含め、子ども達の放課後の育成施設が、障害者自立支援法下の児童デイサービスから、児童福祉法に基づく放課後等デイサービスへ移行することになったんです。サービス内容の変更や事務手続きの煩雑化に加え、建物要件も変更されました。新制度で定められた建物の条件を満たしていない施設が数多くあり、移行期限までに移転・改修を迫られていたんです。でも、施設は慢性的な人手不足。子ども達のことで手一杯で、このままじゃ施設がなくなってしまう。そこで、いったんプロジェクトをストップし、一施設の移転のお手伝いをすることにしました」
「施設移転の補助金申請から、土地探し、建築士やハウスメーカー、建築指導課や建築確認検査機関との折衝など、すべて手探りでやってきました。土地を探すだけでも数十件回り、1年も掛ってしまいました。また、東京都安全条例、建築基準法、障害者自立支援法のズレに悩まされ、何度も条文を読み返し、担当者との話し合いを繰り返しました。でも、この移転関連の業務をきっかけに、他施設の所長さんや、特別支援学校・学級関係者、障害福祉課の担当者さんと繋がり、様々な視点から現場の声を聞くことができました。そこから、新しい方向性や解決すべき課題が見えてきたんです」。

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閉鎖的な福祉の世界に、新しい風を入れたい。

「最初は政策提言をして、福祉を取り巻く環境を変えていくつもりだったんです。でも、現場からは『外の人と関わる機会がない』という声が圧倒的に多かった。福祉現場には異業種の方はもちろん、同業者同士の交流も少ないと。そこで、交流事業をはじめることに」。

「りょういく」サイトは、交流事業のプラットフォームだと重光は言う。調布市内にある複数の子ども達の施設で行われるイベントやボランティア募集を告知し、様々な人が参加できる仕組みをつくるために生まれた。
「ひとつの施設を支援しても、そこで関わる子どもは多くて30人くらい。私が直接施設のお手伝いをしているだけでは、福祉を取り巻く環境は変わらない。交流事業によって、様々な思いやスキルをもつ人が福祉の世界に集まれば、風土そのものが変化するはず。現在の日本には、障害や福祉について関心をもつ人は少ないと思います。私自身、ボランティアに参加するまで、福祉について無関心だったし、縁遠かった。障害児とどう接していいかわからなかったし、怖いと思ったこともある。でも、知ったら変わる。障害があってもなくても、ただ人間同士の関係があるだけ。それを実感したら、困っている人に自然と声をかけられるようになるはず」。
「『療育って何?』と聞かれたら、『向き合うことと、寄り添うことの繰り返し』って答えてる。時には真正面から子どもと向き合って、時には傍らに寄り添う。こうして少しずつ信頼関係を積み上げて、安心できる存在になると、子どもは難しいことにもチャレンジできるようになる。『叱られるからやる』ではなく、『この人がいるからやってみよう』と思ってもらえる存在になれた頃には、支援者側も大きく成長できているはず。お互いが成長するから、両育なんです」。

 

つづく・・・

 

2013/7/1 Text : 界外亜由美