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障害児との出会いをきっかけに、りょういく サイトを立ち上げました。[Vol.3]

障害をもつ子ども達と、
たくさんの時間を過ごした。
その経験がなければ、
社会起業なんて考えもしなかったと思う。 Vol.3

重光喬之(NPO法人両育わーるど理事長)

前回のレポート:障害児との出会いをきっかけに、りょういく サイトを立ち上げました。vol.2

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 障害をもつ子ども達が放課後に過ごす、療育施設。そこには、ボランティアとして関わる人たちがいる。ボランティアと聞くと、なにかをしてあげることだと思いがちだ。でも実際は、支援する側も人間として学び、大きく成長することが多い。「りょういくレポート」では、ボランティアを通して成長する人々の姿にスポットを当てて紹介する。

 第一回目は、NPO法人両育わーるどの代表、重光喬之。この「りょういく」サイトを立ち上げた彼も、ボランティア通して変化した人間のひとりだ。大学卒業後、プロのミュージシャンを目指すが挫折。就職し、ようやく仕事に慣れた頃、待ち受けていたのは脳脊髄液減少症(のうせきずいえきげんしょうしょう)という病だった。
 その間、ずっと重光の人生とともにあった療育施設でのボランティアを通して、社会起業へと向かった半生について話を聞いた。

 NPO法人設立。この仕事で生きていく。

2012年末、“療育は両育プロジェクト”は、“NPO法人両育わーるど”へ。「この仕事で生きていく」という決意のもと、NPOを設立した。
「私には厳しく言ってくれる組織や関係者が必要だと思って法人にしたんです(笑)。3年後には交流事業によっていろんな人が当たり前のように療育施設に足を運ぶようになっていてほしいですね。そうなると施設の在り方も変わるし、子どもたちの育成環境も改善される。『偏見だった』とか『無関心だった』と気づく人が増えたら、社会も変わると思うんです」。
当面は交流事業をメインにしながら、政策提言も続けていく。
「児童福祉法下の放課後等デイサービスでは、10人の子どもを2〜3人の職員でみることになっています。子どもとしっかり向き合うためには、現実的な比率ではないと思います。でも、採算を考えると職員数を最低限まで減らすしかない。サービスを充実させようと思えば台所は火の車になる。保護者の要望を受けてプラスアルファのサービスを提供しても、その分の報酬を受け取ることは禁止されています。この制度に沿って運営しなければ、助成金を受けることができません。障害者自立支援法下の児童デイサービスよりも報酬単価は良くなっているので、一概に否定ばかりもできないのですが」。
「現在、多くの子ども達の福祉施設は助成金なしでは運営が成り立ちません。利用料をすべて保護者に支払っていただくことは難しいでしょう。ある意味では強制的になっている横並びの状況を変えたいと思っています。助成金を受けつつ、施設ごとの理念や方針に沿ったプラスアルファのサービスを提供し、ニーズのある利用者からサービス料をいただく形にしたい。部分的な自由化を目指して、政策提言を続けようと思っています」。

 

他者への理解と余裕があれば、みんなが生きやすくなる。

今、教育や医療・福祉の現場では、学習障害やADHD(注意欠陥・多動性障害)といった軽度の障害をもつ子どもが増えていると感じる人が多い。診断基準の変化や医師の判断による差異、診断時の子どもの状況などさまざまな要因が絡むため、実際に増えているという結果が示されたわけではないが現場からはそういった声を耳にする。
「地域コミュニティが崩壊し、核家族化によって子どもと接する大人が減りました。その結果、お母さんが一人で子育てを抱え込むようになったことがひとつの要因ではないかと考えています。あくまで私の持論ですけれど。また、経済協力開発機構(OECD)が発表している国民の幸福度ランキング(Better Life Index 2013, OECD)によると、日本は36カ国中21位と低い。幸福度が上がれば障害をもつ人々がもっと生きやすくなるのではないかと思っています。社会に他者への理解と余裕があれば、障害者だけでなくみんなが生きやすい世の中になると思うんです」。

「そういったことに気づいてもらうためにも、『りょういく』を介して交流事業をやりたいんです。障害児と接するうちに、最初は『してあげる』つもりだったのに、反対になにかを『してもらって』いたりする。その結果、『してあげる』『してもらう』という関係ではなく、お互いを理解して一緒に成長することを体験する人が増えれば、幸福度も上がるんじゃないかな。それは両育わーるどのビジョンでもあります」。
重光は学生時代、100名以上の友人をボランティアに誘った。ほとんどの友人は福祉にも障害をもつ子どもたちにも興味をもっていなかったが、実際にボランティアを経験して変わった人がたくさんいたと言う。
「これまで障害の呼び名を変えたりするような動きはたくさんありました。でも、名称を変えるだけでは本質的には何も変わらないと思っています。福祉の風土そのものを変えないと。それには多くの人に知ってもらったり、経験してもらうしかない。とても難しいことだけれど、これまで変化していった多くの友人や自分自身を見てきたので可能性はあると感じています。」

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やると決めたらあきらめない。社会を変えることもできるはず。

小学5年になる自閉症の男の子は、不安やストレスがあると常動行動が出る。手をヒラヒラさせたり、飛び跳ねる等、同じ動作を繰り返す。
「今から2年ほど前のこと。都内の防災センターで起震車による地震体験をした帰りに、駅で電車を待っていたんです。彼が常動行動をはじめたので『しっかりしなさい』と厳しく声をかけました。怖いお兄さんを演じていたら、嫌々でも落ち着くだろうと思って。自閉症の中には耳が過敏な人もいるので、駅のような騒音のある場所はとても苦痛なんです。今思えば地震体験で怖い思いをして、彼のガマンも限界に達していたんでしょうね。『ガツン!』という鈍い音とともにものすごい痛みが走りました。頭突きをされたんです」。
「最初はわけが分からなくてさらに厳しく声をかけました。すると、見かねた他の職員さんが間に入ってくれたんです。職員さんが『大変なんだよね』と寄り添う姿を見て、ハッとしました。ボランティアをはじめた頃はもっと子どもの気持ちに寄り添いたいと思っていたはずなのに、いつのまにか見失っていた気がします。その子との関係性を無視してルーチンのように関わっていたことを反省しました」。
しばらくして、男の子と向き合う機会があった。
「プールに行った時のこと。その時も常動行動が出ていて。今度は言い聞かせるのではなく、彼の気持ちを推測しながらゆっくりと話をしました。すると彼の動きがスッと止まったんです。送迎の車の中で帰る道や降りる順番がいつもと違うと不安になるのですが、『○○さんが帰ったら、信号を越えて、角を曲がったら家に着くよ』と順を追って説明すると、落ち着いて過ごすことができました。何を言ったかではなく、関わり方が伝わったのだと思います。失った信頼関係をまた少し積み上げることができたかなと思いました」。

「私はめげないんですよね、何ごとも。音楽も仕事も病気も、これまでいろいろ大変な思いをしてきました。効率が悪いし、スマートじゃないことばかり。でも、一旦やると決めたらあきらめない。できるかできないかじゃなくて、やるかやらないか。生きづらくて大変なんだけど(笑)」。

重光がはじめてボランティアで関わったダウン症の女の子は、当時小学5年生だったがすでに20代になった。
「最初は怖くて包丁をもつことができませんでした。それが今では梨の皮をむいてみんなに振る舞ってくれるようになったんです。熱いお湯も怖がらなくなりました。お茶を淹れるとみんなが喜んでくれると知ったことが、できるようになった大きな理由だと思います。こんな風に少しずつ苦手なことを克服していく子どもたちを見ていると、本当にすごいなと感じます」。

 

両育わーるどの事業もきっと思うようには進まないだろう。しかし、持ち前の粘り強さを活かして何度つまずいても立ち上がって前に進んでいくのだろう。人は誰もが成長の可能性をもっている。そして、いつか社会を変えることもできるはず。そう信じているのだろう。

 

 

2013/7/1 Text : 界外亜由美